これ以上先に集落は無いため、この道はもう生活道路ではない。
近くに採石場があるため車の通りはあるのだが、現代ではそもそもあまり重要な道でもなく、土が剥き出しの路面は昨日の雨でぬかるんでいる。
猫川の雰囲気もだいぶ変わった。源流ももうすぐ近くである。
荒れた道はまだ山の高いところを目指して上って行く。
やがて佐比内溜池の標柱が見えて来た。
立入禁止の看板が出ているが、溜池を近くで見学することは出来る筈だ。
道は二手に分かれていた。俺は上る道は鉱山に続いている筈だから、溜池はきっと下る道の方にあると信じ、本通りを外れて砂利道を下った。
しかしその道は谷底へ続いているだけで、溜池はなかった。
その場所には沢が流れており、その元は崖の上にあるようだった。ということは、鉱山へ続く道の途中に溜池があるのだろう。
もう一度元の道に戻り、鉱山方面へ向かった。
暫く歩くと、再び本通りを外れる小道に行き当たった。今度は当たりだったようで、森を抜けると突然視界が開け、溜池の堰堤へ上る九十九折の道が目の前に現れた。
丁度雲が晴れ、まるで空に向かって歩いているような感覚だった。
溜池の周辺には幾つかの記念碑が残されており、この溜池の造成事業が当地にとって重要なものであったことが窺える。
この地には元々、佐比内鉄鉱山の高炉が2基あり、1860年の開業から1869年まで製鉄を行っていた。その後1930年に溜池が出来、佐比内鉄鉱山は水底に沈んだが、現在でも遠野市の史跡に指定されている。のみならず、2015年に世界遺産に指定される橋野鉄鉱山の他に周辺地域で高炉跡が残っているのは佐比内鉄鉱山以外に無く、水没している状態であるにもかかわらずこちらも世界遺産に指定されるべきだと主張する研究者もいる程だ。
また佐比内鉄鉱山と佐比内鹿踊りには深い関係があり、高炉完成の際に執り行われた山神祭にて、佐比内鹿踊りが奉納されたという記録が残っている。佐比内溜池が完成し、高炉跡が水の底に沈む際にも惜別の佐比内鹿踊りが奉納されたが、このときが暫く途絶えていた佐比内鹿踊りの復活の瞬間だったともされている。
堰堤まで道が整備されていたので、歩いてみる。かつては東北一の貯水量を誇った溜池だが、今は訪れる人も殆どいない。斯く言う俺も溜池の存在は知らなかったが、遠野の歴史上途轍もなく重要な場所を歩いていたのだと知るのは、暫く後のことなのだった。