馬木の内はこの道沿いにある最後の集落であり、その外れには馬木の内稲荷が鎮座している。
田畑の農作物は全て刈り取られ、山の木々の葉も落ちる季節なので、その中にある朱塗りの鳥居は遠くからでも目立って見える。
御社がある一角だけ土が盛られ、高いところから人々の暮らしを見下ろしている。
手水鉢は苔生していたが、水は止まることなく流れ続けていた。
白塗りの質素な御社は、何時の頃からこの場所にあるのだろうか。
この御社の由来は遠野物語拾遺の189話に出て来る。一日市の勘右衛門という人が、この先にある鉱山に奉公していた頃のこと。自宅の背後の山(一日市にあるのか馬木の内に下宿していたのかは不明)で天気の良い昼間にもかかわらず急な暗闇に襲われ、これが馬木の内の御稲荷様の仕業であると直感した彼が「どうか明るくしてください、そうしたら御位を取得してお祀りします」と祈ったところ、元の明るい空に戻ったことから、約束通り位を取って祀ったというのがこの神社である。
御社は今でも手厚く管理されているようだ。しかし、このような少しだけ昔にあった話を覚えている人が、今どれくらいいるのだろうか。
嘗ては鉱山労働者で賑わったであろうこのあたりの集落も、今は数軒の家が残るのみである。
このあたりが本当に人の暮らしの終端で、この先には山、そして今は滅びてしまった鉱山跡しかない。
その滅びてしまった鉱山――大峰鉱山が今日の目的地である。
最後の集落を過ぎると道は一層険しくなり、猫川も上郷の街で見た面影は最早ない。
砂防ダムがあるためかこのあたりでは流れが停滞し、水面には冬に向かう山の姿が映し出されている。標高が上がると、それだけ季節の進みは早くなる。
この上流にはさらに大きなダムがあるようなので、時間的にダムを眺めながらの昼ごはんになりそうだ。