道は猫川という小さな川に沿い、山深い場所へ入って行く。ただの道の脇に幾柱もの石碑が立ち並び、何か壮絶なものさえ感じる光景が待ち受けている。
隣には熊野神社の赤い鳥居が立っている。道は畑の間を抜け、小さな森の中に続いている。
山が深い場所では、太陽は中々その陰から顔を出さない。今ようやく、山の稜線に太陽が姿を現し、長い夜が明けたようである。
森の奥には青い屋根の御社が見えている。
参道にも石碑が立ち並んでいる。庚申塔が2柱と、古峯神社の碑だ。
熊野神社はその名のとおり、熊野三山の祭神を祀る神社なので、同じく山岳信仰や修験道に通じる古峯神社とは関係が深いのかもしれない。
御神木の根元には、金勢様のような奇妙な形の石が。
森の中の道を歩き、古い石段の前に辿り着いた。
階段を上った本殿の袂には、何やら奇妙な顔の石像が佇んでいる。小さな石像だが、インパクトが凄いので見逃すことはないだろう。
これも一応「狛犬」らしいが、完全に人の顔である。今にも突然動き出しそうな程、その表情は生命力に溢れている。
本殿は2010年に改修を終えたばかりだとか。翌年も生き延び、今こうして静かな森の中で参拝者を迎えている。
社号は熊野神社だが、祀られているのは六角牛大権現のようだ。何やらいろいろ混ざっている。
中には祭壇が設けられ、ゴンゲサマの頭と、最近神事があったばかりなのか、新しい御神酒が備えられている。
ゴンゲサマはピカピカしていて、結構派手だ。青笹の荒神様もその祭神はゴンゲサマだが、このゴンゲサマという神様は兎に角気性が荒く、近隣のゴンゲサマと諍いを起こしていたという話が遠野中に残っている。
この熊野神社があるのは暮坪という地域で(あのメチャメチャ辛い暮坪株の産地として有名)、当地には虎舞が伝わっている。暮坪から日清戦争に出征した朝橋長松さんという人が持ち帰り、その後堀切留吉さんという人が改良を加えて現在の形になったとされているが、ゴンゲサマの御膝元から遠く戦地に旅立った人にとって、荒々しい虎舞は故郷のゴンゲサマを思い出させるものだったのかもしれない。