乗り換え待ちの間に、昼ごはんを食べた。最近流行っていると思われる、タイカレーの缶詰のマッサマンカレー味を食べた。
マッサマンは所謂甘口のタイ料理で、16世紀頃にペルシア地域との交流で生まれたとされている。この缶は具材がツナだったが、本来は鶏肉や羊肉で作られることが多く、もしこれを食べてマッサマンを食べた気になっている人がいるとしたら、一度より本物に近いマッサマンを食べてみるべきだと勧めたい。
仙台を出て暫くは大きな街が続く。北の愛宕駅くらいまでは、仙台のベッドタウンとして駅周辺を中心に住宅地が形成されている。
愛宕駅から先は内陸に入り、車窓からは人工物の姿が殆ど見えなくなる。品井沼を過ぎたあたり、鳴瀬川とその支流の吉田川に囲まれた沿線エリアに、宮城の原風景が広がっている。
山は遠くになり、見渡す限りの広大な田園が広がっている。品井沼、鹿島台、松山町といった駅の周辺には小さな街があり、慎ましやかな人々の暮らしがある(尤も鹿島台駅は近年になって立派な駅舎に立て替えられた)。
街と街を繋ぐ道路の周りには、見渡す限り畑しかない。見えている人々の暮らしとは交わりそうで交わらない。
早くも日が傾いて来た。この時期には、16時過ぎには日没を迎えてしまう。何処かで夕焼けが見られるだろうか。
大船から旅をしていた頃には、何時も18時過ぎくらいにこのあたりを通っていた。春には、地平線の彼方へ沈んで行く儚い太陽の姿を拝み、日本にはこんな情景があったのかと感嘆したものだ。
鳴瀬川の流れを越えると、間もなく小牛田の街に入る。以前は仙台から一ノ関へ直通する汽車が多かったが、今は殆どが小牛田止まりになってしまった。
川の土手からゆっくりと田園の中に下り、街が近付いて来た。小牛田も大きな街ではないが、陸羽東線と石巻線が交わる交通の要衝で、鳴瀬川と江合川に囲まれた集落にあって一日約2千人の人が駅を利用している。
街には病院やコンビニ、高校までの教育機関がある。川に囲まれた地域で一生を終えて行く人もいるのかもしれない。幼稚園に入る歳になるまでに3回も転居を経験している俺からすると、生まれた土地に根差して生活している人が羨ましいと感じることもある。