遠野放浪記 2014.11.22.-06 穢れ無き大河 | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

車窓には白石川の水面が広がり、その遥か彼方に雪を戴いた蔵王の山々が聳えている。雄大な流れの中には対岸の街で暮らす人々の姿が映り、その上に少し気が早い白鳥たちがのんびり寛いでいる。

 

 

 

此処からは大河原、船岡、槻木、岩沼、名取と大きな街が続き、やがてその総本山ともいえる東北一の大都会・仙台へと到達する。

 

 

大河原駅前のサンパチラーメンは所謂次郎系で、汁なし麺が美味いらしい。

 

 

一目千本桜は葉も残っておらず、すっかり冬支度が済んだようだ。

 

 

再び蔵王の山並みを眺めながら、白石川を渡る。

 

 

すぐ背後には本流の阿武隈川が流れているが、車窓からは少し遠く、橋も架かっているのでその姿を見ることは出来ない。

 

 

街と街の間にも人の暮らしはあり、其処にあるのは都会の煌びやかな虚構とは無縁の、山と大地に生かされる人としての真っ当な暮らしである。

物質的に満たされているだけの都会暮らしと、山を感じながら生きて死んで行くことが出来る暮らしと、どちらかを選べるなら後者が良い。

 

 

 

 

あんな山の上にも人工物はある。人間とは逞しいものだ。

 

 

 

やがてまた車窓に見える街が大きくなり、そして段々と目の前に近付いて来た……。

 

 

 

 

仙台圏内に入ると、其処はもうコンクリートとガラスが犇めき合う大都会である。東北の色々な街を見て来たが、規模の話だけするならばこの街だけは明らかに別格である。

 

 

駅にもいったい何本のホームがあるのか。ホームを移動する必要がある駅での乗り換えは苦手とする俺だが、仙台ではいつも30分近く時間があるため、多少迷子になっても問題ない。

 

 

先程自然を感じながら暮らしたいということを書いたばかりだが、しかしながらこの仙台や岩手県の盛岡では、東京で時折感じるような息苦しさを感じない。実際に住んでみるとわかることもあるのだろうが、流れている空気が違うことと、何より本当の空が見られることが良いのだろう。