集落と森の中を進む道は細く荒れたものになり、何処へ行くとも知れない雰囲気である。
ほぼ直角のカーブに差し掛かり、行く手に僅かに光るものが見えた。
視界が開け、こちら側の道でようやく猿ヶ石川を拝むことが出来た。
此処から道はほぼ平坦で、行く先に大きな集落が見える。
さらに見通しが良い田園の向こうに、大きな橋が見えて来た。ということは、この旅路ももう終盤だということか。
何か見覚えがある石碑が目の前に現れた。雪が深い時期に、このあたりを歩いた気がする。
鱒沢から出発し、峠を越えて小友は氷口から蒻沢へ、そして名も無き峠を越えて再び鱒沢に戻って来た。一日でとても長い旅をして来た気分だ。
このあたりは南部藩と伊達藩の境界に当たる場所で、遊井名田番所跡が残っている(遺構は無いが)。
小友から荷沢峠に差し掛かるあたりにも新谷番所跡があり、小友の金山を巡って両藩が血みどろの戦いを繰り広げたという事件もあった。もう400年も昔のことである。
鱒沢から小友に掛けては、遠野の夜明け前を支えた重要な地域であり、この土の下には志半ばで散って行った多くの人の情念が眠っている。その上に、21世紀の遠野は存在しているのだ。
道はやがて糠森峠の道と合流し、俺は半日振りに沢田橋を渡った。
これで、俺の今回の遠野の旅はおしまいだ。そしてこの後は、俺の人生を根底から覆すビッグイベントが待っている。