遠野放浪記 2014.09.14.-09 続・分断された世界 | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

釜石街道の裏道にも人は住んでいる。しかし、表通りと比べるとその差は一目瞭然だ。

 

 

仙人道路は遥か頭上に。あそこを通る人は、この場所に小さな暮らしがあることになど気付いてすらいないかもしれない……。

 

 

暫く歩くと、ようやくまとまった件数の家が集まる集落に辿り着いた。

 

 

上の道路もようやく、少し顔を上げれば見える位置にまで下りて来た。でもやっぱり、あの道とこの道は交わりそうで交わらない気がする。

 

 

気を取り直してどんどん歩こう。

この道は暫くは非常に見通しが良く、カーブもない直線なのだが、その先にさらに大きな集落があるのが見える。次の松倉駅があのあたりにあるのだろうか。

 

 

ただし、見てわかるとおり集落まではまだかなりの距離がある。9月とはいえ、ずっと歩いていると汗をかいて来る。

以前リズ(先代の自転車)と一緒に走ったときにはあっという間の距離だったが、自力で歩くのはこんなにもリアルに身体に響くものだろうか。

ふと山の斜面を見上げると、木の陰に隠れるようにひっそりと小さな鳥居があるのを見付けた。

 

 

ただし、あそこへの行き方はわからない。もしかしたらこちら側からは辿り着けず、集落を大回りして反対側の斜面から上るしかないのかもしれない。いろいろなものが複雑に交差する、此処はそんな土地なのである。

 

 

集落はまだ遠い。釜石線に分断された、こちら側とあちら側の世界は、あの場所で交わるのだろうか。

 

 

そしてさらに十数分歩き、ようやく家々の姿が大きくなって来た頃合いで、行く手に小さな神社があるのを発見した。

 

 

もしかしたら此処からが集落の中なのだろうか。

白い鳥居には八幡神社と銘打たれている。

 

 

日月神社よりも小さく、境内はほぼ御社で埋まっている。

この神社について情報が無いか調べてみたが、見付からなかった。松倉の集落の鎮守なのだろうとも思ったが、このあたりでは駅を挟んで釜石側にある松倉神社の方が規模が大きく、有名なようだ。

 

 

ただ、境内に夫婦の道祖神が祀られているのを発見出来たのは嬉しかった。

藤井さんという夫婦が奉納したようだが、やはり特に由来などの情報は見付からなかったため、個人的に神様に感謝することがあって奉納したのかもしれない。

 

 

道祖神というと蝦夷地であった信州に多い印象だが、岩手の奥地も古くは蝦夷地であり、さらに遠野と釜石の境界あたりには山の民(製鉄民)が世を捨て暮らしていた。自然と似通った文化が定着していても、何らおかしくはないだろう。

 

 

ちょっと良いものが見られた気がして、気持ちも軽くなった。

もう少し頑張れば、松倉駅に到着出来るだろう。