街の背後の山にも道が続き、俺はようやくその入り口を発見した。
蔦に覆われ、朽ちかけた古い鳥居が結界の入り口。その中にあるのは、宇迦神社である。
静かな雨が森の木を、蔦の葉を打ち、周囲に生きものの気配は無い。じっと息を潜め、雨が通り過ぎるのを待っているのだろうか。
この神社が宇迦神社と呼ばれるようになったのは明治維新後のことで、その創建は定かでない。昭和51年まではこの場所ではなく、附馬牛小学校の職員室の前にあったと伝えられている。
元は荒屋地区の高木氏の先祖が氏神として勧請したのが始まりだとされている。1646年に新田家の家臣が平舘より大挙して遠野に移り住み、その8年後に小友の荒屋地区の番所守が高木氏らから荒屋氏に代わったというが、附馬牛の荒屋と小友の荒屋、同じ名前の地区で幅を利かせていたのが同じ高木氏だというのは意味深な一致である。
土地名と氏の一致を偶然ではないとすると、この神社の創建は少なくとも360年程前に遡ることになる。
境内は伸び盛りの草に覆われ、ちょっと山裾を通り掛かっただけでは神社の存在にすら気付かないだろう。
近くには二柱の石碑が安置され、小さい方の銘はよく見取れなかったが、大きい方には養蚕神と刻まれている。遠野地方の御多分に漏れず、附馬牛でも盛んだった養蚕における、蚕に対する当然の感謝の形だ。
遥か彼方の時代からこの場所にあり、小学校とも密接な関係にあった神社の歴史に対する想像は尽きない。
それではもう少し、山奥に続く道を歩いてみよう。