遠野放浪記 2014.04.28.-15 秘めやかなる信仰 | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

崖下に架かるボロボロの鳥居をくぐり、微かに先人の足跡が残る急斜面を腹這いになって上って行く。


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参道は朽ちた枝葉が覆い尽くす。白望山で感じたような、秘めたる信仰の世界が人里のすぐ近くにある。

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やがて行く手に巨岩が見えて来た。岩を割るように生えている曲がった松は、石割松と呼ばれている。

この岩には源義経が騎乗していた馬の蹄跡があると伝えられているが(小黒号だろうか)、参道からは確認出来なかった。

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愛宕山には元々岩が多く、昔はもっとそこいら中にごろごろと転がっていたため、このあたりの地域では巨岩信仰が早くから興っていたとされているようだ。

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やがて、小さな山の山頂にある古い御社に辿り着いた。

建物は非常に質素で、山人が籠った修行場であるようにも思える。

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扉は開いていたので、中を覗かせていただく。中央にはこれまた古い祭壇が安置されていた。

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御社の内部には多くの絵馬が掲げられている。地元の人々が奉納して行ったものだろうか。

その年代は明治から平成まで、実に多岐にわたっている。古い絵馬に込められた当時の人の想いが、今日俺がこの扉を開け放ったことで里に山に溢れ出して行く。

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祭壇には、馬に乗った侍のような姿をした小さな木彫り人形が安置されている。遠野へ落ち延びたと伝えられる源義経を模ったものだろうか。

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そして中央には、愛宕様の木像が。ところどころ傷んでおり、造られてからかなりの年月が経っていることが見て取れる。荒々しい彫り口に底知れない迫力を感じる。

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地元の識者にも何時頃からこの場所に愛宕様が祀られているのかはわからないという。また郷土史の資料にもはっきりとしたことは書かれていない。このような人の来訪を拒むような高い場所に、誰が何を考えてこの御社を建てたのだろうか。

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山の裏側には全く道は無く、この先に何があるのかはわからない。

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和野の集落では、ある年の大規模な火災を機に、防火の神である愛宕様に御神酒挙げをして悲劇が繰り返されないよう祈るようになった。それ以来集落は火災から守られているという。

愛宕様は普段は見上げるような高い場所に居り、真摯に祈る人が心から助けを必要としているときだけ、少し手を貸してくれるのだろう。信仰の対象に関わらず、神とはそういうものなのかもしれない。

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再び険しい崖を下り、人里に戻った。僅かに霞が掛かった和野の小さな集落が、やけに現実離れして神秘的に見えた。

山には愛宕様の他に、参道の途中に山神や御稲荷様が祀られている。山に登れない人々も、麓から集落や家族の安全を祈ったのだろう。何も飾らない場所にひっそりと信仰がある、それが遠野らしいところだ。