仙台駅を過ぎると、風景はこれまでに増して野趣溢れるものに変わって行く。
家すらも無い大平原、そしてそれを隔てる河川。
小牛田から暫くは、沿線に小さいながらも人々が暮らしている街が続く。
宮城を脱出しに掛かるこの区間にも、田尻や石越といった知っている街が増えて来た。
ごく短い時間ではあるものの、俺もこの風景の一部に身を置くことが許されたという事実が、堪らなく嬉しくて旅人冥利に尽きるのだ。
この街を抜ければ、いよいよ岩手の玄関口である一ノ関駅へ。
なお余談だが、東北本線は一ノ関駅を境に運転系統が変わるためか、仙台方面と盛岡方面の列車の接続は考慮されているとは言い難い。
特にどちらかの列車が遅れた際、もう片方が1~2分待てば問題なく乗り継ぎが出来るような場合であっても、乗り換え先の列車は無慈悲に出発する。がらんどうのホームを見て絶望した後は、行ってしまった列車に追い着くために新幹線の特急料金を支払わなければならないという二重の精神的苦痛が待ち構えている……。
一応、数分でも乗り継ぎを考慮しない理由は「新幹線があるから」らしいが、なけなしの小遣いで旅をしている子供や沿線の地元民には、そんなことは全く理由にならないのである。「先へ進みたければ金を払え、貧乏人は帰れ」ということではないか。増してや、先が長い仙台方面の列車が待ち合わせできないのは兎も角、東北本線の終着駅である盛岡へ向かう列車でさえ待ち合わせをしないのは、JRの怠慢だと断じざるを得ない。
ともすれば一時間以上列車は来ず、他に代替手段がない中で人々は仕方なく特急料金を支払うわけだが、JRはそうまでして小銭稼ぎをしたいのかと。そのくせ不採算路線は、沿線の住民ごと容赦なく切り捨て、駅から人の温もりを取り上げ、歴史ある駅舎を壊しまくるのである。
本来、採算度外視で国民の足たり得なければならない鉄道こそ、国や自治体が支援し、極力多くの利用者の利便を図らなければならないのではないか。せめてこういう小狡い手段で荒稼ぎするならば、その収益を不採算路線の維持に回すべきである。採算が合わない路線を切り捨てて行ったら、極論そのうち首都圏以外から人がいなくなるではないか。JRがそんな簡単なことも解らないとは思いたくないが、解っていて何も手を考えないならば、繰り返すが怠慢以外の何物でもない。
列車が遅れたからタダで新幹線に乗せろとか、30分の遅れでも絶対に待てとか言うつもりはない。しかしJRが、時に利用者から巻き上げる利益をせめて正しい使い道に回すことを願うばかりだ。