姉帯城跡の片隅に東屋があった。
この東屋には、姉帯城遺構の発掘や地元の歴史・文化に纏わる様々な資料が展示されていた。
討ち死にした侍の遺体だと思われる、生々しい写真も……。
しかしこれも昔、この場所で起こった現実なので、目を背けるわけにはいかない。
そんな中、悲劇の末路を辿ったと思われた姉帯氏にとって非常に喜ばしい資料が展示されていた。
此処に展示されている文書は、小林重冶さんという方の家から出て来たものなのだが、それによると姉帯大学兼興の弟である姉帯五郎兼信の幼子――姉帯落城時僅か2歳――が乳母に匿われて金田一村まで逃げ延び、成人後に小林姓に改めて秋田に移り住んだというのだ。
つまりこの小林さんは、全滅したと思われていた姉帯氏の遠い子孫に当たることが判明したのだ。
姉帯氏は生き残っていたんだ!そのおかげで現代、姉帯さんという天使がこの世に生まれた。歴史の数奇な糸は何処に繋がっているのか、本当にその瞬間になってみないと解らない。姉帯氏の血が今も脈々と日本に流れていることが確認出来ただけで、感無量だ。
姉帯城西郭跡の最奥には、討ち死にした姉帯大学兼興を始めとする一族の供養塔が安置されている。
この祠は比較的新しいようだが、これも姉帯氏の名誉のために建てられたものなのだろうか。
今は無き姉帯城の地面には、姉帯氏の誇りと無念が染み込んでいる。そしてその上に、平和を勝ち取った現代の姉帯がある。そのような場所に、ただ姉帯さんを探し出してチュッチュしたいという目的で足を運んだことに対して慙愧に堪えない。
でもそんな切っ掛けが無ければ、そもそも姉帯の歴史を詳しく知ることも無かったかもしれないので、これはこれで他に代え難い経験が出来たということを立っちゃん先生に感謝したい。