塚沢の集落を出て再び峠を進んでいると、また人が住んでいる集落が見えてきた。
先程よりもさらに小さな街のようだが、得てしてこういう場所には何かがある。
潜り拝殿の向こう、境内は結構広く、鳥居は無いが集落に直接通じる参道があった。
ということは、此処がずっと探していた塚沢神社だ!
社号にそのまま集落の名前が付いている通り、地元では非常に重要な神社だ。
特に安産の神様として知られており、塚沢ではこの神社のおかげで難産に苦しむお母さんはいないといわれている程だ。
何時から此処に鎮座しているのか、社号の看板にも年季が入っている。
御社の中には御地蔵様が祀られている。
元々この集落には地蔵だけがあり、地元の子供たちと遊ぶのが好きで、毎日子供に縄を掛けられては田圃の中を引き摺り回されていたとか。それでも地蔵はそれを楽しんでいたのだと伝えられている。
ある日、地蔵に対する余りの扱いに村の老人が子供たちを叱り飛ばしたが、逆にそれが地蔵の怒りを買い、その老人は祟られてしまった。それで地蔵の怒りを鎮めるために建てたのが、この塚沢神社だという。
このように、塚沢神社に伝わるエピソードからも、信仰と生活が切っても切れないものとして当たり前のようにこの土地にあったことがわかる。
それでか境内には、地元の名士を偲ぶ石碑が多く立てられていて、記念碑や彰功碑と銘打たれた立派な石碑が目白押しだ。
神々は勿論のこと、地元の人たちにとっては身近に居ながら集落のために貢献した、偉大ながらも自分と同じ“人間”にも敬意を払っていたのだろう。
地元で名医として活躍したらしい太田代奥太郎氏の開業五十周年を祝う石碑や、どんな功績を残したのかはわからないが折居先生を記念する石碑。
決して有名ではないのかもしれないが、集落の人々にとっては誰よりも頼れる英雄だったのかもしれない。
俺もいつか、遠野の片隅にこんな石碑が残るようなことを遣り遂げたい。
ともかくこれで、念願だった塚沢神社への参拝を果たすことが出来た。
遠野遺産コンプリートへの旅路は、少しずつだが確実に前進している。
こんなところで、そろそろ峠道に戻ろう。