遠野に行く、とひと口に言っても、遠野はとても広い。宮守も含めた市全域で東京23区くらいの面積があるので、一日や二日ではとてもじゃないが回り切れるものではない。
特に俺のようなローカル線愛好者には移動だけで半日くらいかかるので、実質的に現地で自由に過ごせるのは中日のみだ。
そこで今回は行きたい場所をピンポイントで定め、12月22日~24日は宮守に、そして12月29日~31日は高清水山に挑むことに決めた。
高清水山に行くならば、その麓にあるくら乃屋さんに会いに行こうと思った。学生時代最後の旅で初めて出会い、別れ際に交わした「いつか必ず遠野に戻ってきます」という約束は未だ果たせずにいる。ならば今が、それを成就させる時だ。
ただひとつ懸念されたのは、あの出来事以来、遠野が沿岸地域復旧活動の重要な拠点となり、多くの支援者が同市に集まってきているということだった。そこに俺が半ば観光気分で足を運んでも良いものか、くら乃屋さんにもたくさん宿泊しているであろう支援者たちの貴重な枠をひとつ俺が奪ってしまうことにならないか、それが心配だった。
そこでその不安をくら乃屋さんに直接相談してみたところ「沿岸部の宿泊施設が再稼働しつつあるし、冬場はそういった活動もひと段落するので、部屋の確保については心配しなくても大丈夫。それに東北の現状を見て、そこで経済活動をしていってくれるだけでも充分支援になり、現地の人たちも嬉しいと思う。久し振りの遠野を楽しみにいらっしゃいませ」という大変有り難い回答をいただくことができた。
そこで俺はすぐに、29日から2泊3日の予約をお願いした。
メールで遣り取りしつつ、当時の思い出が次々に甦ってきた。くら乃屋さんにとっても俺はインパクトがある客だったようで、御夫妻も再会を楽しみにしていたとのこと。御二方共に弊社社長と友達なので、俺の近況を噂で聞いているらしいということだけが唯一の不安材料だが(笑)遠野にそう思ってくださる方がふたりもいるというのはとても幸せなことだ。
俺が遠野に通い続けた3年間は、確実に何かを生み出していたということか。
こうして俺の遠野行きは確実なものとなった。
俺は社会人になってから始めたFacebookでそのことについて触れた。すると、以前の旅で知り合い、現在は会社の先輩となったT氏(仮名・前作参照)から「22日は忘年会やるよ!時間あったらおいで!」というお誘いをいただいた。
T氏に会うのも当然久し振りだし(電話では何度か話していたが)、断る理由など何もないので、有り難く参加させていただくことにした。宮守に行くという予定上、あまり長い時間遠野に滞在することは出来ないが、就職以前からの思い出がある先輩と会えるというのはとても楽しみだ。
宮守には残念ながらまだ知人がいないので、22日からの旅は独りになることを覚悟していたが、こちらも嬉しい再会が待っていることになった。
遠野行きを決めた途端、止まっていた時間が堰を切ったように一気に動き始めた。溢れる過去と、これから新しく紡がれていくであろう記憶に、興奮を抑えることは出来なかった。
俺の心の中にある錆び付きかけた時計が、再び時を刻み始めた。もう戻ることは出来ない。