ワクチン接種を止めて収束したという国が存在していることを知りました。このまま「収束した」と私も諸手を挙げて喜びたいところですが、けれども、そこには、落とし穴があるのです。

まず、このSARS2ウイルスは免疫回避という能力があり、ヒトの細胞から細胞へ伝播します。そしてそれは気づかないまま症状が進行し、あたかも魔法が存在するかのようにしてサイトカインが発露し、様々な臓器障害や発熱などの症状として現れます。それは今回のmRNAワクチンなどの継続的免疫御応答がなくては、免疫が働かないまま必ず曝露します。

 

 


私が考えうるに、マスクもまた、疑似免疫応答が可能であると考えています。

 

もしかしたら健常児がこの自閉症から見た世界のあり方のような体験を持ってしまう危惧が私の中にあります。だからといって、このコロナの中、「マスクをつけるな」という考え方もやはり危険であるようにも思いますし、なぜなら飛沫曝露でコロナとの共闘生活を強いられ、生死の恐怖を幼い子に味合わせてしまうといったことを覚悟しなくてはなりません。

おそらくマスクの中で子供たちは顔のアフォードが、遺伝的な読み取りのエラーを生じ、顔の上半分だけは読み取り、下半分だけは”ない”もしくは”妄想”になってしまう、ということが導かれますが、もし、妄想のほうを読み取り、脳のニューロンがそのように刈り込みを形成した場合、”統合失調症様症状”を引き起こさない――とは云えないのです。読み取りの情報が少ないということは、それだけ、他の自分だけの推理や考えで補完するしかなく、それは間違った読み取りをしてしまう可能性もあり、それはつまり、”妄想”という形で現れるということは、統合失調症的、と考えるしかありません。少ないジェスチャーや目の視線の向きや仕草などで感じ取るほかはなく、そのことで”疑心暗鬼”のような感情を抱き、もしかしたら、統合失調症のような病のリスクが上がる可能性もあります。
私は、幼少期から人の顔や名前を覚えることがなかなかできませんでした。夢の中でふらふらとして近しい人や、その時よく関わる人しか覚えられませんでした。そして、統合失調症の陽性期の時は、「私は普通である」といった信念が打ち砕かれるときがやってきて、疑心暗鬼になりました。それは、「顔」のコラムでヒトを補填してそれを信頼、もしくは確信できない、といった病に基づくものなのです。

 

 

 

確かに、小さなお子さんのコラム刈り込み時に、表情を読み取ることができない場合、表情を妄想的に読み込まれ一時的に統合失調症のような症状を起こしてしまうかもしれない危惧は確かに存在得るのですが、しかしそれに反して、まだワクチンが行き届かない現状、SARS2にとってマスクが可能な対抗手段であることは確かです。そして、先ほど疑似免疫応答とは、”呼気とマスクで交互に継続的に蓄積するスパイク蛋白”が、今回のmRNAワクチンのように、「人工スパイク蛋白の継続的生産」かのような知覚を人体に生じ、免疫応答と類似した現象が起こり、SARS2の免疫回避能力を喪失させ免疫として働くのではないか、といったことが考えられます。
マスクは他者に飛沫感染でSARS2の感染をある程度抑える効果があることからも、文明の利器であると言えます。

そして、ワクチン接種を止めて収束した国の話に戻るのですが、このウイルスは”免疫回避”があると述べました。これはこれまでの研究から明らかであり、イータ株にもそれが見られます。

つまり――「自己免疫による自然免疫」は到達不可能なのであり、回復者血漿が治療として見出されても危険な状態を示すことからも明らかです。つまり、回復者血漿にしても、コロナ共生とは「ウイルス共生と引き換えに免疫回避と同時に生存する」という人体や人間にとっては明らかに不利な交渉であり、要するに、お金がないのにお金を貸せと言っている不良のようなもので、恐喝のようなものです。つまり、コロナとの共生は認められない、といったことが云えるのです。

そして、コロナとの共生の不可能性と同時に、ワクチン接種を止めたらどうなるか。また再び死亡者は”膨れ上がり”全国民がいつか手遅れの症状を発露する危険性を提言しなくてはなりません。それは何か月後か、1年後かになるかわかりませんが、死者は少しずつ急増していくはずです。その時初めてとんでもないことになっていた、もしくはなった、ことに気づくだろうと思います。その時に科学的治療を為そうとしても、既にサイトカインは蓄積し、あとはサイトカインストームが起こるだけ……感染爆発のスイッチを誰かが押すだけで一斉に死者が急増する。それは帰国者であったり海外旅行者であるのです。

今回のmRNAワクチンがなぜ、スパイク蛋白の”継続的免疫応答”であったのかを考えると自然と答えは1つにまとまる筈です。

それは、”免疫回避による自然免疫の不能”であり――”継続的免疫応答の発生機序の不可能性”である、ということです。
つまり、ワクチンなりなんなり、対策をしなくては私たちはずるずると命の切符が切れ死んでしまうということなのです。その技術としてmRNAワクチンは、早期であり優秀であったということが考えられます。

 

また、ワクチン接種群での陽性者が多いように見えるのにも実は理由があり、その理由は下記リンクに示しております。
 

おそらく、これから日本もワクチンが普及するにつれて「風邪症状」を、”全国民に等しく”発生する数が増えるであろうと予測できる。これは、コロナが”死なない生命体”であることに寄与する。そのため、他国は既に陽性者及び感染者が増えている。それは症状的であり、コロナ的ではない。下痢、微熱、のどの痛み、鼻水がおそらく少しずつ出る、または数日風邪症状になり軽快し、また感染したような症状になる、それを私たちは全国民が繰り返すのである。
今、人類は短期的に見積もってワクチンでなんとか絶滅を凌いでいる状態である。
そして、それと同時に私たちは下痢にしても鼻水にしてものどの痛みにしても胃酸に晒されても”死なないコロナ”をなんとかして殺さなければならない。かといってコロナ絶滅まで目標にしていくと、こんどは”復讐”の眼に遭う可能性が出てくる。点まで凝集して”死になさい”と言ってもそのものの負のエネルギーは満ち、そのものは”死にたい”にも関わらず生へのエネルギーを充溢するのである。そしてまたディスコに駆け抜けるようにして世闇を飛び交うのである……。

 

 

今回の日本におけるファイザーのmRNAワクチンでは、ワクチンが全員に行き届いておそらく今後数年、今回のコロナウイルスが完全に死ぬまで風邪の症状が絶えなく発生するだろう。

お互いに接種者が出会って、風邪のような症状を頻回し、下痢をし、喉が痛む可能性はあるだろう。ワクチンを打った人が増えたにも関わらず陽性者が増えているのはこれが理由であると考えられる。まず、空気中にあるウイルスを取り込み、その抗体反応を起こす。これをAと仮定し、さらにそのAは、Bに抗体反応によって生じた吐き出されたウイルスを知覚する、そして風邪様の症状を引き起こす。そしてBもまた炎症反応を起こし、更にA’に抗体反応による症状をまた再び惹起する。その繰り返しになる。

そのため、抗体反応があたかも陽性者となって発生するのである。そのため、もし今後「ワクチンを打ったのに風邪っぽいな」と感じたら、それは抗体反応であると考えられるため、PCR検査を受ける必要性はほとんどないのだ。けれども、その方が「ウイルスを反応で出している」ことには何ら変わりはないのである――つまり、公衆衛生と矛盾する現象が頻発するだろう。そのことで人々はパニックになるが、内科はその抗体反応を捌ききれず引き受けなくなるであろうことも予測できる。ワクチン接種開始から陽性者が1乗減ってさらに2乗増える、そして次の段階には3乗、4乗と増加していくだろう。――けれども、死者数は限りなく減るのである。

 

 

 

今後、

「風邪を何度もひくのですが、ワクチンですか……」

という方が大勢でてくると思われる。それは確かに、その通りなのだ。私たちはこの謎の病の、ワクチンを打つことによる因果関係の有無を問わず、引き起こされるリスクの謎を解明しなければいけないと思われる。

 

 

私たちは、100%国民がワクチンを打った、にも関わらず「風邪様症状」が出た場合、それは数兆個のウイルスを保有するスーパースプレッダーに出会ったわけではなく、”コロナが死なない”ことから移し合う状態事由に曝されている。しかし、そのウイルスは”変異”しない。そして、そのウイルスの風化をただ私たちは100%限りなく打った後、願うしかない。

スパイク蛋白の問題に関してはベテランの技師がいる。その問題は、コロナが収束した後でいい、とそう私は考えている。

 

 

 

 

そして、今回の各国の行動は一見、コロナパンデミックを拡大しているように見えますが、これにはウイルス学上の理由があるのかもしれません。
例えば、ある一つの地域で封じ込め作戦を行ったとしても、この回避ウイルスはどこまでも回避するためその地域内で強毒性を持つように変異していく。それは封じ込めでは成功できない。ではどうするか。わざと拡大させ、選択圧を軽くすることで、強毒性を薄めようとした作戦であり、それを世界中が負担する、そういった考えのもとなのかもしれません。株の表とか一覧とか見ていたら ……妄想かもしれませんが、理由があるとしたらこれしかないような気もするのです。

また、なんだか、接種会場がとんでもないことになっているような気がするのです。
例えばAが会場へ申し込み、そこをキャンセルせずに遅刻し注射が廃棄される。しかしAはまた接種していないので申し込むことができる。そしてまたその廃棄を繰り返す。その可能性がないとは云えません。つまり、Aのしたことというのは、結果的にBという他者のワクチン接種枠を何度も取り上げており、その都度そのワクチンのロットの一つを廃棄しているのではないかという指摘が可能です。そこに、今の東京都の、キャンセルや廃棄が存在しているにもかかわらず、若年層の抽選でうまく当たらない、という現象が生じているのではないか……とすら思えます。まあ、妄想だといいのですが、その手の犯罪がないとは限らない。その手の犯罪に手を染めるグループももしかしたら存在するかもしれない。しかも1人ではこの犯罪は不可能で、複数人や数十人のグループが存在していないと、この犯罪は成立しない。1人だったら、1人抜けて、またそこに予約が入ればそれで済みますが、数十人だとそうはいかない。こういった詐欺グループのようなグループが成立している、そういった見方をするしかない。

私たちは2019年11月にプリンセスダイヤモンド号での、”ウイルスはどんな人間にも蔓延るものだ”という恐怖を抱き、またそのことで日本人はコロナ、SARS2に興味を持ち、また自粛するというきっかけをつかみ、また、高齢者や弱者の生命を守るために、様々な工夫を凝らして、2021年ワクチンが届くまで自粛してきました。
そのことが遠因して、日本は高リスクな高齢者の保護と死者の相関性が負の線を描くまでになり、間に合うことに成功しました。
その時の恐怖と自粛というかつての努力を私たちは決して忘れてはならないと感じます。