道場本来の姿 | 極真・柴田の「言いたいことは言う、ブログ!」

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でも、気を使って言いたいことなんか言ってませんけど…

 先日、大石代悟主席師範と話した時、次のようなことを聞いた。
「道場本来の姿とは受験勉強的な道場であってはいけない、学問的な道場であるべきだ。」と。
 分かっていた筈だがなかなか明確な言葉に出来ず苦慮していたことを、明確な言葉にして教えて頂いた。師範の思慮深さを感じるとともに、感謝の念が湧いてくる。

 「試合で勝つためだけの稽古をし、試合に勝てばその後は稽古から遠ざかる」、又「黒帯を目指し、手にしたら道場から足が遠のく」 こういった考え方の稽古では受験のための勉強と同様、奥深いものにはなって来ない。
 チャンピオンになることは素晴らしいし黒帯も手にしてもらいたい。
 しかし、本来の武道というものは「道」である以上、学問のように連綿と続けられなければならないはずだ。

 確かに極真は「強さ」を売りにし、大会がその存在価値を高めてきた。しかし、大山倍達総裁はそういった強さだけでなく、いつもその先にある「生涯修行」を目標としてこられたし、そこから学べる武道哲学を述べられていた。私たちはそういった考え方に共鳴し、今まで空手を続けて来た訳だ。

 人の考え方はそれぞれで、主義主張を押し付けることは出来ないが、道場としては指導方針を明確にしなければならない。師範からお聞きしたこの言葉を忘れずに、日々の指導に活かしたい。