今日は、1963年に日本が原子力発電に初めて成功した「原子力の日」だそうだが・・

日本初の原発=東海発電所:発電は従、プルトニウム生産が主目的だった!?
【原発の父・正力松太郎は、発電施設ではなく、原爆の原料・プルトニウムの製造施設を欲した。
※ 日本の原子力発電とCIAの関係

 安倍総理の信奉する祖父、時の総理・岸信介、核武装は合憲との持論。
※ 安倍晋三と岸信介/「同じ」と「違う」
  岸信介の「作品」 アヘン中毒の悲惨な実験国家
  
 原爆の異母兄弟原発・・発電は二の次、核武装のために生まれた。】

日本の原子力発電とCIAの関係
【戦後史の暗部の一つ原発導入とCIA、
日本のメディア王・正力松太郎氏との後ろ暗い関係。

 正力松太郎氏の存在がなければ、原発の導入がこんなにスムーズに進む事もなく、
原発安全神話も生まれず、引いては、福島原発の大事故も未然に想定され、
被害を最小限に抑えることが出来たかも知れない。】


【原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~

NHK 現代史スクープドキュメント 1994年放送
「毒をもって毒を制する」 第5福竜丸事件で反核・反米の世論が高揚する中、
日米が協力し民間から行った世論形成の全貌を明らかにする。】

「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ。
【「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(1885~1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日本の原子力の父」と呼ばれる人物だ。

 「戦後、CIAは正力氏と協力して日本で原子力の平和利用キャンペーンを進めていきました。彼が政財界の有力者とのコネを持っていただけでなく、新聞やテレビを使って宣伝できたからです」。有馬教授はそう解説する。

 54年に日本初の原子力関連予算を要求したのは当時、改進党に所属していた中曽根康弘元首相らだった。予算が衆院を通過したのは、ビキニ環礁での米核実験で漁船員らが被ばくした「第五福竜丸事件」が明るみに出る約2週間前の3月4日。中曽根氏はギリギリの日程で原発関連予算を通す。中曽根氏は原子力関連法を次々に提案し、科学技術庁(現文部科学省)の初代長官に就任した正力氏とともに、原子力事業を推進した。

通産省内でも『補助金漬けの原発は財政的に問題で電力自由化に逆行する』『特に金のかかる核燃料再処理事業をやめるべきだ』との議論が出てきた。05年ごろまでに再び原発継続の方向で固まったが、市場原理に基づけば原発は成り立たない。電力会社も本音ではやりたくないが、国策に従っているだけです





 新潟日報モア 2021/10/26 11:00
立地住民 再稼働問題に思い複雑 柏崎刈羽原発 容認、反対だけでは割り切れず
【10月26日は1963年に日本が原子力発電に初めて成功した「原子力の日」だ。国は国策として原発を推進してきたが、世界最大級となる東京電力柏崎刈羽原発は、テロなどを防ぐ核物質防護体制の不備や工事の未完了などの問題が相次ぎ、再稼働はできない状況だ。31日投開票の衆院選では、各党がエネルギー政策を打ち出す。原発が立地する新潟県の柏崎市と刈羽村の住民からは、再稼働容認、反対だけでは単純に割り切れない複雑な思いが聞かれる。

 63年10月26日、日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)で原子力発電に初めて成功した。その後、各地に原発が建設された。柏崎刈羽原発は1985年に1号機が営業運転を開始。97年には7号機が営業運転を始め、7基の総出力は約821万キロワットに上る。

 2011年の東電福島第1原発事故後、原発への風当たりは強い。事故後に再稼働した原発は10基にとどまる。柏崎刈羽原発は全7基が停止したままだ。

 さらに核物質防護体制の不備をはじめ、柏崎刈羽原発での一連の問題で原子力規制委員会は4月、東電に対して核燃料の移動を禁じる是正措置命令を出した。東電は命令解除まで再稼働はできない。規制委はくしくも「原子力の日」の26日から核防護不備問題で同原発の本格検査を始める。】一部抜粋