唯一の戦争被爆国・日本の菅首相は、「核兵器の保有も使用も合憲」とする安倍晋三前首相と同様、無差別大量殺人兵器・原爆の保有、使用を禁ずる核兵器禁止条約を完全無視。
菅首相、平和祈念式典であいさつ 核禁条約や「被爆体験者」救済触れず

大量殺人兵器・原爆の保有、使用を禁ずる核兵器禁止条約がなくとも、そもそも、非戦闘員に対する無差別攻撃は戦争犯罪の筈だが・・

原爆という飛び道具?で他国を威圧する、米・ロ・中・英・仏・・核保有国は無差別大量殺人兵器・原爆を保有する権利?を手放そうとしない。

そして、唯一の戦争被爆国・日本は、米国の核の傘に守られている手前?核廃絶になぜか?後ろ向きだ。

大量破壊自爆装置=原発と、大量破壊兵器=原爆のダブルスタンダード
【大量破壊兵器の原爆は、偶然?にも国連常任理事国の、アメリカ、ロシア、中国、フランス、イギリスにだけ、核拡散防止条約により公式にその所有が認められ、それ以外の国には認められていない。

 アメリカには、大量破壊兵器の原爆を持つことが許されるが、イラクにも日本にも許されない。
それどころか責め込む口実にされてしまう。こんなダブルスタンダードが何故許されるのか?

 しかも、非公式ではあるが、インド、パキスタン、イスラエルも、原爆を所有しているにも拘らず、何のお咎めも受けていないどころか、アメリカはイスラエルを、陰に日に庇い続けている。】


ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ  問われなかった 人の道に外れた罪
【広島平和記念公園の「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という文言、
過ちを犯した者たちを断罪せずに「過ちは繰り返しません」と誓っても虚しいだけ。

 同様に、福島原発事故を起こして放射能を撒き散らし、福島の人々の生活を破壊し、多数の関連死をもたらし、多くの被ばく者を生み、日本中に放射能入り食品をばら撒いた犯人に対しても、その罪を問わない?

 罪に問われ刑に服した者でさえ、過ちを悔いず再び同じ罪を犯す例も数多くある。
まして罪を問われなかった犯罪者なら尚更、平気で「同じ過ちを繰り返すだろう。】


長崎原爆の日 祈念式典で市長  「核兵器の脅威 世界共通の課題」 しかし安倍総理は・・
【安倍晋三総理は今年も、「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の努力を1歩1歩、着実に前に進めていくことはわが国の変わらぬ使命だ」と述べながら、核兵器禁止条約を批准せず。

米国の提供する核の傘に依存し、密かに?核保有国入りを熱望?、
核兵器のない世界を望まない?安倍自民党が政権を失わない限り、
日本政府が、核兵器禁止条約を批准する日は永遠に訪れないだろう。】


長崎原爆の日。1945年8月9日に何が起きたのか、写真で振り返る




「長崎の鐘」とは、廃墟となった 浦上天主堂 の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。 
作品は 1946年 (昭和21年)8月には書き上げられていたが、 連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)の検閲によりすぐには出版の許可が下りなかった。


 致知出版社HP
「人類よ、戦争を計画してくれるな」。『長崎の鐘』著者・永井隆が残した平和への祈り
「戦争は人類の自殺行為」
【『長崎の鐘』最終章の「原子野の鐘」にはこう記述されています。

「カーン、カーン、カーン」

澄みきった音が平和を祝福して伝わってくる。事変以来長いこと、鳴らすことを禁じられた鐘だったがもう二度と鳴らずの鐘となることがないように、世界の終わりのその日の朝まで、平和の響きを伝えるように、「カーン、カーン、カーン」とまた鳴る。

人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。

原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争をやめよ。ただ愛の淀にしたがって相互に助け合い、平和に生きてくれ。浦上人は灰の中に伏して神に祈る。】


 日刊スポーツ 2021年8月9日12時15分
長崎原爆76年、核廃絶希求 禁止条約「世界ルールに」被爆地と政府に溝
【長崎は9日、米国による原爆投下から76年を迎え、長崎市松山町の平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。田上富久市長は平和宣言で、1月発効の核兵器禁止条約を挙げ「世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現するためのプロセスが始まる」と述べ、日本政府に第1回締約国会議へのオブザーバー参加と、一日も早い署名・批准を求めた。

菅義偉首相はあいさつで「唯一の戦争被爆国」として核廃絶を目指す決意を口にしたが、条約に直接言及しなかった。松井一実広島市長も6日の宣言で条約参加を求めており、被爆地との溝が改めて浮き彫りになった。

田上氏は宣言冒頭で、原爆は「ダメだ、ダメだ」と核廃絶を希求し今年亡くなった被爆者の手記を引用。英国による核弾頭の保有枠数引き上げ表明など核保有国が「依存を強めている」と危機感を示し、米ロを名指しし核兵器削減を要求した。

政府に被爆者援護の充実、国の指定地域外で長崎原爆に遭った「被爆体験者」救済も要請した。

「長崎を最後の被爆地に」という言葉を共有するよう世界に呼び掛け、東京電力福島第1原発事故から10年となった福島に「心からのエールを送る」とも表明した。

被爆直後の救護活動に尽力した過去最高齢の被爆者代表岡信子さん(92)は「平和への誓い」で条約を歓迎し「命ある限り語り継ぎ、核兵器廃絶と平和を訴え続けていく」と語った。

原爆のさく裂した午前11時2分、平和公園の参列者約500人が黙とうした。新型コロナウイルス対策で昨年に続き規模を例年の1割程度に縮小。核保有国を含む63カ国のほか、国連や欧州連合(EU)の代表者らも出席した。

長崎市が7月末までの1年間で新たに死亡を確認した被爆者は、被爆体験者を含め3202人。原爆死没者名簿への記載総数は計18万9163人となった。被爆者健康手帳を持つ人は3月末時点で世界に12万7755人。平均年齢は83・94歳。(共同)】


 長崎市HP
令和3年 長崎平和宣言
【今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小崎登明さん。93歳でその生涯を閉じる直前まで被爆体験を語り続けた彼は、手記にこう書き残しました。

世界の各国が、こぞって、核兵器を完全に『廃絶』しなければ、地球に平和は来ない。
核兵器は、普通のバクダンでは無いのだ。放射能が持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。このバクダンで、沢山の人が、親が、子が、愛する人が殺されたのだ。
このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける。核廃絶を叫び続ける。
原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。

 小崎さんが求め続けた「核兵器の無い平和」は、今なお実現してはいません。でも、その願いは一つの条約となって実を結びました。

 人類が核兵器の惨禍を体験してから76年目の今年、私たちは、核兵器をめぐる新しい地平に立っています。今年1月、人類史上初めて「全面的に核兵器は違法」と明記した国際法、核兵器禁止条約が発効したのです。
 この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。来年開催予定の第1回締約国会議は、その出発点となります。
 一方で、核兵器による危険性はますます高まっています。核不拡散条約(NPT)で核軍縮の義務を負っているはずの核保有国は、英国が核弾頭数の増加を公然と発表するなど、核兵器への依存を強めています。また、核兵器を高性能のものに置き換えたり、新しいタイプの核兵器を開発したりする競争も進めています。
 この相反する二つの動きを、核兵器のない世界に続く一つの道にするためには、各国の指導者たちの核軍縮への意志と、対話による信頼醸成、そしてそれを後押しする市民社会の声が必要です。

 日本政府と国会議員に訴えます。
 核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国よりも貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます。
 「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、「核の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください。

 核保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴えます。
 国を守るために核兵器は必要だとする「核抑止」の考え方のもとで、世界はむしろ危険性を増している、という現実を直視すべきです。次のNPT再検討会議で世界の核軍縮を実質的に進展させること、そのためにも、まず米ロがさらなる核兵器削減へ踏み出すことを求めます。

 地球に住むすべての皆さん。
 私たちはコロナ禍によって、当たり前だと思っていた日常が世界規模で失われてしまうという体験をしました。そして、危機を乗り越えるためには、一人ひとりが当事者として考え、行動する必要があることを学びました。今、私たちはパンデミック収束後に元に戻るのではなく、元よりもいい未来を築くためにどうすればいいのか、という問いを共有しています。
 核兵器についても同じです。私たち人類はこれからも、地球を汚染し、人類を破滅させる核兵器を持ち続ける未来を選ぶのでしょうか。脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人ひとりが声を挙げ、世界を変えるべき時がきているのではないでしょうか。
 「長崎を最後の被爆地に」
 この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人ひとりが持ち続けるべき希望なのです。
 この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。
 長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実を伝え続けます。

 被爆者の平均年齢は83歳を超えています。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と、被爆体験者の救済を求めます。
 東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。
 原子爆弾によって亡くなられた方々に哀悼の意を捧げ、長崎は、広島をはじめ平和を希求するすべての人々とともに「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを、ここに宣言します。

2021年(令和3年)8月9日
長崎市長   田 上 富 久】