福島原発事故は、東電・原子力ムラが、起こすべくして起こした破滅的大事故。
起こるべくして」と言うより「起こすべくして起こした」環境破壊事故だ。

原発事故 巨大津波の予測困難?東電の“未必の故意”認定せず不起訴??
【“未必の故意”を福島原発事故に当て嵌めれば、
「想定外?の巨大津波が福島原発を襲えば、全電源喪失、メルトダウンに至り、原子炉から相当量の放射能を放出し、施設外の住民を被ばくさせると知りながら、その備えを“未必の故意”により怠った」となる。

 敢えて想定しなかった、想定したが備えずに原発事故を起こした罪を問わなくていい?
「想定できない?津波による事故だから、誰にも罪がない」?そう検察は言いたいのか?】

東電原発事故無罪判決 企業の責任を問えない仕組みでいいのか?
【原発事故を起こした東京電力は、人ではない(人でなし)だから刑事責任は問えない?
内外から注意喚起された津波・地震への備えを故意に怠り、福島原発事故を誘発した東電・旧経営陣の責任も問えない?

司法が、原発事故を起こしても、誰にも刑事責任を問わない?というなら、
一度事故を起こせば破滅的被害を齎す、原発という凶器の運転は、全面禁止すべきでは?】


 朝日新聞 2021年1月5日 7時00分
「原発事故、起こるべくして起きた」東電元エースの告白

【かつて東京電力の中堅社員として幹部候補の一人と目されていた50代の男性が、東電福島第一原発事故から10年近くを経て、初めて取材に応じた。男性は待ち合わせの都内のホテルの喫茶店にスーツ姿で現れ、落ち着いた口調で語りはじめた。

「今思えば、あの事故は起こるべくして起きた。すべて過去とつながっていて、東電はそこに向けてずっと進んでいたんです」

 男性はバブル期に入社してから、ほぼ一貫して企画部に在籍していた。企画部は経営計画づくりや国との交渉などを担う東電の司令塔。そこで順調に出世街道を歩んでいた男性の人生もまた、あの日を境に大きく変わってしまった。

 2011年3月11日午後2時46分。大きな揺れを受け、福島第一原発では、運転中だった1~3号機の原子炉が緊急停止した。男性は当時、東京・内幸町にある本店9階でいつも通り仕事をしていた。大きな揺れを感じ、すぐにテレビをつけて震源地が三陸沖であることを知る。しばらくすると、原発が無事に停止したとの報告が入った。「これで大きな影響はないだろう」。しかし、本当の危機がやってきたのは地震発生から約50分後だった。原発敷地内に最大15・5メートルの高さの津波が押し寄せ、配電盤や非常用発電機が水没。1~3号機は全交流電源を喪失した。

 その後、男性が次々と目の当たりにした光景は、東電の中枢にあって全く想定していない事態だった。翌12日午後に1号機の原子炉建屋が水素爆発し、14日午前に3号機、15日午前に4号機の原子炉建屋が相次いで吹き飛んだ。1~3号機がメルトダウン(炉心溶融)する未曽有の原発事故となった。

 3カ月後、政府などの調査とは別に、東電は自らも「福島原子力事故調査委員会」を立ち上げ、事故の究明に乗り出した。計画停電の対応などに忙殺されていた男性は、上司から調査報告書をとりまとめるよう命じられた。しかし、調査は事故の経過や現場で起きていた事実の積み上げに多くの時間が割かれ、肝心の事故原因の分析になかなか進まない。男性が報告書の原案で事故原因に触れようとすると、会長の勝俣恒久ら経営陣からは厳しい言葉が飛んできた。

 「事実に立脚していないことは書く必要はない」

 「なんでお前が勝手に決めるんだ」

 男性は「事故は天災で防ぎよう…】


 Yahoo!ニュース・WoW!Korea 最終更新:1/5(火) 18:02
東京電力元職員「福島原発爆発事故は防げたかもしれない」=韓国報道
【2011年福島原子力発電所の爆発事故が予見された事故であったという東京電力の元職員の良心宣言が出た。

福島原発運営会社である東京電力の幹部候補にもあがったことがある元職員Aさんは5日、日本朝日新聞とのインタビューで、「原発事故は当然起こりうる事故だった」と述べた。

バブル期に入社して順調に出世コースを歩いていたAさんは、入社後ずっと東京電力の司令塔とされる企画部で働いた。Aさんの人生は、2011年3月11日午後2時46分の事故を機に大きく変わったと、朝日は伝えた。

彼はインタビューで、「当時私が見た光景は、東京電力が全く想定していない事態だった」とし「1号機の原子炉建屋が爆発し、14日午前に3号機、15日午前に4号機の原子炉建屋が相次いで爆発したが、13号機がメルトダウンするという前例のない事故だった」と回想した。

事故後も経営陣らは、リスクを事前に認知していたという事実を隠すことだけに追われていた。

Aさんは、事故発生から3か月後、東京電力独自の調査報告書をまとめするよう命令を受けた。当時報告書の草案に事故原因を書こうとすると、勝俣恒久当時会長は「事実に基づかないものは書く必要がない」「なぜ君が勝手に決めるのか」と非難した。

彼はこのような会長の態度が「『事故は天災地変で防ぐことができなかった』というシナリオを要求しているように感じられた」と述べた。

彼は「安全神話」も事故原因と指摘した。彼は2004年に危機担当部署にいたとき、原子力担当者に「どのような原因で原発が事故を起こし、放射能が外部に流出されるのか、リスクシナリオがあるのではないか」と質問した。これは旧ソ連のチェルノブイリと米国のスリーマイル島原発事故を念頭に置いた質問だった。

しかし、返ってきた答えは、「そのようなリスクはない」であった。Aさんが納得できず繰り返し質問すると、担当者は「そのようなリスクは全て排除されたのだからあり得ない。安全は既に確立されている」と断言した。

彼は「危機担当部署は想定できる最も重大で影響度の高いリスクを各部門から見極めることが任務だった」とし「その時、もっと熱心にリスクを引き出すことができていれば、原発事故は防げたかもしれない」と後悔した。

事故から10年が過ぎた今、東京電力旧経営陣3人が業務上過失致死傷罪で起訴された刑事裁判(1審は無罪判決)では、最大規模の津波を予測し対策を講じるべきだったかをめぐり争いが続いていると、朝日は伝えた。

Aさんは、数年前、東京電力を退社した自分があえて今回のインタビューに応じたのは、再び同じ過ちを犯さないでほしいという思いからだと述べた。彼は「事故後、安全重視の文化が本当に東京電力に定着したのか。事故を教訓に、本当に変わったと言えるのか、私には分からない」と述べた。】