原発事故を起こした東京電力は、人ではない(人でなし)だから刑事責任は問えない?
内外から注意喚起された津波・地震への備えを故意に怠り、福島原発事故を誘発した東電・旧経営陣の責任も問えない?

原発事故 巨大津波の予測困難?東電の“未必の故意”認定せず不起訴??

東電原発公判 大津波想定を無視した?武藤元副社長「対策の先送りと言われるのは心外」??

福島原発事故 津波対策「放置」争点*防潮壁建設費80億円をケチった罪 問えるか?

国の専門機関による地震予測「長期評価」に基づき、
巨大津波への備えを3・11の二日前に完了した東海第二原発は、ギリギリのところで津波に耐え、ダブル原発事故に拠る日本壊滅の危機は、奇跡的に回避された。

「津波があと70cm高かったら」 東海第二も全電源喪失していた・カレイドスコープ
【3.11では、東海第二原発でも奇跡的なことが起きていました。
「あ70cm高かったら」、「あと2日早く津波が来ていたら」、東京は完全に終わっていたでしょう。私も今頃、こうして生きていたかどうか分からないのです。

この防潮壁ですが、実はもともとは4.9mでありました。

それで、(増設して)6.1mの壁になったわけですが、壁が完成したのは実は(3月11日の)2日前でした。
3月9日に完成したということだったわけです。

これを知ったとき、私はゾッといたしました。】

もし、日本原電の経営陣が、ブラック東電の経営陣に倣い、津波への備えを怠っていたなら、日本は確実に壊滅していただろう。

にも拘らず、「巨大津波を想定できなかった」?と、無罪判決を出した司法、
原発は原子力ムラは、日本の法律の及ばない天国?治外法権なのか?
東電は治外法権?!だから原発事故の刑事責任を問われない??

司法が、原発事故を起こしても、誰にも刑事責任を問わない?というなら、
一度事故を起こせば破滅的被害を齎す、原発という凶器の運転は、全面禁止すべきでは?

 法と経済のジャーナルより
企業活動で起きた業務上過失事件、法人処罰の在り方は 
【そもそも刑事責任は、人を殺してはならない、物を盗んではならない、など、社会生活の中において最低限守らなければならないルールに違反した者について、被害者やその近親者等に代わって国家が制裁を加えるという制度であり、その対象は、およそ、「人として」許されない、強い倫理的非難の対象となる行為である。

一般予防とは、犯罪を犯した者を処罰することによって社会一般に犯罪の発生を防止させること、特別予防とは、犯罪を犯した者の再犯を防止し、更生させることである。

特別予防、一般予防という、倫理的非難と並ぶ刑事責任の本質的要素からすれば、業務上過失致死傷事件について企業(法人)自体に刑事責任を科す意義は十分認められるようにも思われる。】

 中国新聞・社説
東電原発事故無罪判決 企業責任問う仕組みを
【あれほどの甚大な被害をもたらしながら、誰一人として刑事責任を問われないのだろうか。被災者のみならず、理不尽に感じる人は多いはずだ。

 東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の元会長ら旧経営陣3被告に、東京地裁はきのう無罪を言い渡した。

 巨大津波の重大性を予見し、防潮堤など有効な対策をとることができたかどうかが主な争点だった。しかし判決は「巨大津波を予見できる具体的な根拠に乏しかった」と予見可能性を認めなかった。

 それどころか、原発の「有用性」に言及し、地域経済などに大きな影響を与えてまで運転を停止させる経営判断は困難だったとした。司法として踏み込みすぎではないか。

 企業トップ個人の責任を問うのだから、厳格な立証が必要である。だが原発でいったん事故が起きれば被害は破滅的だ。

 それだけに電力会社の経営陣が、より高度な注意義務を負っているのは当然のことだろう。極めてまれな自然災害のリスクにも備えるのが、原発を運転させる前提であるはずだ。

 だが判決は、被告側の主張に沿って注意義務違反も認めなかった。安全性を軽んじるような司法判断に違和感を覚える。

 3人は、第1原発の主要施設がある高さ10メートルの敷地を超える津波の襲来を予想できていたのに対策を怠って事故を招き、過酷な避難を余儀なくされた双葉病院(福島県大熊町)の入院患者らを死傷させたとして罪に問われた。

 公判は2017年6月に始まり、37回を数えた。東電関係者や専門家ら20人余りが証人として出廷した。津波対策を巡る東電社内のやりとりや動きが法廷で示された。事故の真相究明には一定の役割を果たし、強制起訴による裁判自体は大きな意味があったと言える。

 検察官役の指定弁護士は、国の専門機関による地震予測「長期評価」に基づき、東電が08年には最大15・7メートルの津波が襲来する可能性があるとの試算をまとめていたと指摘した。

 3人には09年までにはこの情報が伝わっており、「万が一にも起こってはならぬ事故」を予見できたと主張した。

 これに対し、3人は試算の根拠となった長期評価について「信頼性は低く、対策の根拠としては不十分だった」などと反論した。一方で、部下からの津波の試算結果報告については「記憶にない」「聞いていない」と繰り返した。

 公判を通じて浮かび上がったのは、リスクを過小評価し、形ばかりの安全対策に安住し続けてきた東電の体質である。

 ただ現行の刑法では過失責任は個人にしか問えない。大企業になればなるほど、責任の所在が分かれていて、個人の責任を問うハードルも高かったと言える。過失事故の原因究明において「司法の限界」が見えた。

 事故の原因究明とともに安全対策を徹底させるためにも、事故を起こした企業の責任を問える仕組みが必要になっているのではないか。

 再発防止に重点を置いて証言義務を課す制度や、企業の責任を問う「組織罰」の創設を求める動きも出ている。国も検討を進めるべきだ。】