ダム建設などの大型公共工事では、昔から〝人柱〟という犠牲者が憑き物だったが・・

50年要らなかったダム〟水の需要は先細り、目的を失った石木ダムの建設に拘り、
なぜ?県・佐世保市・北村大臣は住民に犠牲を強いるのか??

無駄なダム建設の負担金を分担させられる佐世保市民も同様に、硬直した土建行政の犠牲者に・・

佐世保の水がピンチ!!?? : 石木川まもり隊

「石木ダム強制収用を許さない議員連盟」設立 長崎県内外73人、国会議員も

 毎日新聞より
北村地方創生相 ダム建設「誰かが犠牲に、という積極的なボランティア精神で」
【北村誠吾・地方創生担当相は14日、地元の長崎県佐世保市で記者会見し、長崎県と佐世保市が同県川棚町に建設を進める石木ダムについて、多くの人の生活のためには住民の犠牲は避けられないという認識を示した。土地収用法に基づく土地の明け渡し期限が目前に迫っており、発言は議論を呼びそうだ。

 北村氏は、古里を大事に思う地権者の思いにも理解を示しながら、過去に大渇水…】

住民「50年要らなかったダム」 県「急いで造らなくちゃいけない」・・長崎県・石木ダム計画の問い
長崎県・石木ダムの主目的は、佐世保市の水源確保という。
しかし、工業団地になるはずだった場所は「ハウステンボス」に・・
水の需要は先細りで、すでに目的を失っている。

一度動き出した公共工事は、目的を失っても なぜ継続されるのだろうか?

西日本豪雨では、(水害を防ぐ)治水ダムを守るため行われた緊急放流で、堤防が決壊。 
倉敷、大洲、水没した地域では多くの方の命が奪われた。

水害を防ぐ筈の治水ダムが、被害を拡大し住民の命を奪う皮肉な結果に。

「もう放流はしないでくれ」緊急放流で堤防決壊=ダム行政の”限界”【西日本豪雨】
想定外の豪雨で・・肱川決壊は人災!?鹿野川ダム・野村ダムが洪水被害を拡大

ダムは本当に必要だったのだろうか?

上流のダム湖は豪雨で水位が上昇、段階的に放流。
流れの静かだった下流は、豪雨+急な増水で激流に。

雨は間段なく降り注ぎ、水位は更に上昇しダムは決壊寸前。そして緊急放流・・
緊急放流による鉄砲水で下流の堤防が決壊、周辺地域は水没し 多くの方の命が奪われることに。

ダムがなければ、緊急放流がなければ・・被害はもっと小さく、死者を出すこともなかったのでは?

そしてラオスでは、売電のためのダムが、豪雨(施工ミスとの情報も)で決壊、
多くの死者・行方不明者が・・
ラオスでダム決壊、数百人不明…大雨で貯水限界

人災ともいえる事故で多くの犠牲者を出した、ダムは本当に必要だったのだろうか?
貯水限界を超えれば、ダムも人を殺す凶器となる・・関係者は、改めて自覚すべきだろう。

 Yahoo!ニュース 特集より
「ここが沈むとは思ってない」 長崎県・石木ダム計画の問い

【「俺たちはここが沈むなんて思ってないからコメを作り続けてる」――。今年5月下旬、長崎県川棚町の川原(こうばる)地区。棚田に水を張っていた中島昭浩さん(55)はそう言った。

 ここでは今、石木ダムの工事が動き始めている。計画の浮上は半世紀以上も前のことで、「50年以上要らなかったのだからもう不要」と訴える住民の反対運動はやまない。

 一方、熊本県ではこの春、日本初のダム撤去工事が完了した。同じ九州での「新設」と「撤去」。二つの地域を歩きながら、公共事業のあり方を考えた。(笹島康仁、吉田直人/Yahoo!ニュース 特集編集部)

計画が持ち上がったのは1962年。半世紀以上の年月が流れてもダムはいまだ完成していない。いったい、こののどかな地域で何が起きているのだろうか。

県「急いで造らなくちゃいけない」

計画が浮上した当時、日本は高度経済成長の道をひた走っていた。隣接する佐世保市では、県が工業団地を造成。旺盛な水需要が予測されていた。石木ダムの目的も、中心は佐世保市の水源確保にあった。

現在の計画は、石木川を挟んだ山と山の間に高さ約55メートルの壁を造り、有効貯水量518万立方メートルのダムを造る、という内容。総事業費は約285億円に上る。

住民「50年要らなかったダムです」

住民の石丸勇さん(69)は「50年間要らなかったんだから、いまさら造る必要性はないはず。必要ないダムの犠牲にはなりたくない」と言う。

住民たちの主張する「反対の根拠」はこうだ。

治水面では、石木川の流域面積は川棚川全体の約1割。川棚川の治水効果はそれほど高くない、ダムよりも河川改修のほうが重要、と主張している。

水の需要はどうか。佐世保市は過去から現在に至るまで、水道利用が高まると予測してきたが、実績は横ばい、あるいは低下が続く。工業団地になるはずだった場所には現在、レジャー施設「ハウステンボス」ができている。

住民の多くは「これから人口が減るのに使う水は増えるなんて、そんなことがあるのでしょうか」と口をそろえる。



強制収用は2度目 最初は戦時中

そうした経緯をたどりつつも、県は完成を急いだ。2014年には一部の土地について、法に基づいて強制収用の手続き開始を告示した。ダム周辺の道路整備から工事にも着手している。

石丸さんは「川原が強制収用に遭うのは2度目です」と明かした。最初は太平洋戦争の最中。軍需工場建設のために田んぼを手放さざるを得なかったのだ、と。

「あの時代は大日本帝国憲法。(国民に主権はなく)抵抗することもできなかった。でも、今は日本国憲法です。変わったはずなのに、この川棚町では今の憲法が適用されません。私たちは普通の生活がしたいだけなのに」

公共事業の議論、理想の形は?

反対の声が広がってきたとはいえ、一度始まった公共事業はなかなか止まらない。ただ、同じ九州には「日本初のダム撤去」という実例がある。

熊本県八代市の荒瀬ダム。アユの遡上で有名な球磨川の中流にあり、戦後の電力需要を賄うため、熊本県が1955年に造ったダムだ。撤去の完了はこの3月。日本には約2700基の本格的なダムがあるが、撤去は他に例がない。


荒瀬ダムの撤去跡。そばに住む女性は「腐った水のにおいがなくなり、水害の心配もなくなりました」(撮影:吉田直人)

ダムができて逆に水害が増えた、球磨川の代名詞だったアユが姿を消した……。ダム撤去に向けては数十年に及ぶ議論があった。

「例えば、ライト兄弟が空を飛ぶまで、誰も空を飛べるなんて思っていなかった。だけど、飛べると分かると、あちこちで空を飛ぶ人たちが出てくる。ダムも同じです。『撤去』という選択肢ができた。この動きは広がると思います」】一部抜粋