原子力ムラの圧力を怖れ秘密裏に・・総理も経産大臣も抗えぬ彼らの政治力を跳ね返し・・菅総理、海江田大臣には感謝しかない。「良くぞ浜岡を止めてくれた」 と・・

菅総理、海江田大臣コンビはその後も、ストレステストなどで、原発の再稼動阻止に奮闘。 結果、菅総理は総理の座を石もて追われたが・・

もし、「馬淵陣営、決選投票 野田氏に投票」 とNHKが意図的?誤報を打たなければ・・
NHK、大誤報?『馬淵陣営が「決選投票は海江田氏に」』 が、「野田氏に投票」に?

海江田氏が総理となり、その後の野田総理に拠る自民党的悪政も行われず、
安倍自民党の政権復帰も、前原・小池・細野に拠る民進党乗っ取り事件も起こらなかった??
前原・小池、民進乗っ取り・・ぎりぎり残った〝リベラル〟という選択肢、「立憲民主党」結党へ

そして、一凶・安倍総理閣下が、悪政の限りを尽くすこともなかった??
国政私物化の韓国・朴前大統領には懲役30年求刑・・日本のアベ一凶総理への求刑は何年が妥当??

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中部電力・水野明久社長殿
菅内閣、原発堅持派と慎重派の暗闘?浜岡停止薄氷の勝利。

 東京新聞より
<原発のない国へ > 浜岡原発 停止8年 証言でたどる「当時」と「その後」

【東京電力福島第一原発事故後、中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)を取り巻く状況は大きく変わった。政府要請による停止から8年となるものの、再稼働の見通しは全くない。平成の終わりを迎えた今、浜岡停止とその後の影響を証言でたどった。

政府 異例の停止要請

 東日本大震災から2カ月後、福島第一原発事故の大混乱が続く最中だった。
 「全ての原子炉を停止すべきだと判断した」
 当時の菅直人首相(72)は2011年5月6日夜の緊急会見で、浜岡原発を止めるよう中電に要請したことを明らかにした。
 段取りを進めていたのは、経済産業相だった海江田万里氏(70)。「漏れたら圧力がかかる」とかん口令を敷き、菅氏にも発表当日まで知らせなかった。

 始まりは、震災後の11年4月末にあった政府の中央防災会議。「30年以内に大地震が起きる確率は87%」。海江田氏は浜岡周辺の地震発生予測に衝撃を受けた。そして、浜岡を止めた場合の電力供給の影響を調べるよう、事務方トップの次官に指示した。
 試算はすぐに届く。火力発電の割合が多い中電は、原発依存度が10数%と低く、やりくりできそうだった。海江田氏は「現場も確認したい」と5月5日、浜岡に視察に向かった。
 津波を防ぐと説明された砂丘に立つと、波がはい上がる懸念を感じた。海からはいい風が吹き、サーフィンを楽しむ人たちが遠くに見えた。「福島のように、この平和が崩れてしまうのではないかと。あの時、心を決めた」

 翌6日昼、海江田氏は意を決し、官邸で停止要請の計画を初めて伝えた。菅氏は「渡りに船。うれしい驚きだった」と振り返る。
 東京を含む5000万人が避難を余儀なくされる−。福島原発事故後、内閣府の原子力委員長が非公式に「最悪のシナリオ」をまとめた。菅氏は、小松左京氏のSF小説「日本沈没」が現実になるかもしれないと震え上がったのを覚えている。だからこそ、震災対応に追われながらも浜岡のことはずっと頭にあった。
 「大動脈(東海道新幹線や東名高速道路)が走る静岡でも事故が起きれば、日本が真っ二つになる」
 その夜の緊急会見まで一気に動いた。停止を命令する法的権限は政府になく、「要請」という形で決着。会見直前、海江田氏は中電の水野明久社長(現会長)に連絡し、「こらえてくれ、と伝えた。重苦しい電話だった」と明かす。
 中電は3日後、稼働中だった4、5号機を止めると発表。菅、海江田両氏は口をそろえた。「時代は今、脱原発に向かって動いている。あの時止めてよかった」】一部抜粋