墜落から約20分後の19時15分頃、米空軍の輸送機が墜落現場を発見。
しかし、その後の迷走で、日本側の救助隊が現場に到着したのは、
墜落からおよそ14時間が過ぎた、8月13日午前8時半。

公式な事故原因は、後部圧力隔壁の損壊とされているが・・
その主因・不適切な修理を行なったボーイング社は、
事情聴取を拒否したままなぜか?不起訴に・・

もし日本政府に、一人でも多く乗客の命を救おうとの意思があれば、
墜落わずか20分、米空軍の発見情報を無視できる分けもなく・・
日航機墜落事故 17年目の証言①

もし事故調発表の事故原因が正しいなら、検察は ボーイング社を強制捜査しただろうし、
ボーイング・日航の当事者を、一人も起訴しないなど有り得ない。
日航機墜落事故 17年目の証言②③

この二点の状況証拠を合わせると、JFK暗殺事件と同様、公式発表が虚偽の可能性大。
『JFK』オリバー・ストーンも動き出す!? ケネディ暗殺事件の機密文書公開に高まる期待


【23年前に製作されてお蔵入りになった番組】日航123便墜落事故検証特番でも、
事故調発表に疑問ありとする専門家が・・

オレンジエア! (オレンジ色の自衛隊標的機)?
ザ・ノンフィクション 日本航空123便墜落事故 15年目の検証

訓練中の自衛隊機に拠る誤爆が原因との説もあり。
(濡れ衣を着せたボーイング社の罪は 当然問えず、見返りも??)

事故原因も事故責任も有耶無耶。
事故責任を誰も取らないでは、坂本九さんはじめ520名の死者の霊は浮かばれない。
【真実は闇の中・・・政府は必ずウソをつく?】イラク戦争、原発事故、TPP・・

日本航空123便墜落事故- Wikipedia
事故機の発見
墜落から約20分後の19時15分頃、米空軍のC-130輸送機が、群馬・長野県境付近の山中に、大きな火災を発見と上空位置での横田TACAN(タカン)方位(305度)・距離(34マイル)を航空自衛隊中央救難調整所に通報。19時21分ごろ、航空自衛隊の百里基地を緊急発進したF-4戦闘機の2機も、墜落現場の火災を発見して、上空位置での横田タカン方位(300度)・距離(32マイル)を通報した。

位置情報の混乱
しかし、在日米軍・航空自衛隊が把握した、墜落現場の位置報告は正しい情報であったにも関わらず、その情報が活かされることは結局無かった。

事故機の遭難から約1時間40分後と、遅れて出された航空自衛隊への災害派遣要請の背景には、運輸省航空局東京空港事務所の幹部判断である「位置が確認できないことには、正式な出動要請はできん」などや、運輸省よりの「レーダーから消えた地点を特定せよ」と何度も東京ACC(東京航空交通管制部)には電話が入るなど[17]、所管行政当局である運輸省・航空局隷下組織の地上での位置・地点特定に固執した混乱や錯綜が窺われる。

アメリカ軍による救難活動の情報
1995年(平成7年)8月、当時123便を捜索したロッキードC-130輸送機に搭乗していた元在日米軍中尉が、事故直後に厚木基地のアメリカ海兵隊(のちに座間のアメリカ陸軍と訂正)救難ヘリを現場へ誘導したが、救助開始寸前に中止を命じられ、またその事実も他言しないよう上官から命令されたと証言した。

生存者の証言によると、墜落直後の現場にヘリコプターが接近したが、やがて遠ざかっていったという。また、報道機関としては事故現場を最も早く発見した朝日新聞社のヘリは、現場を超低空で飛行するヘリを目撃している。マスコミ各社は「日本側がアメリカ軍の救助協力を断った」などと報道し、救難体制の不備や関係当局の姿勢に対する批判が高まった

事故の原因
1987年(昭和62年)6月19日、運輸省事故調査委員会は事故調査報告書を公表し、本事故の推定原因を発表した。その要旨は以下のとおりである]。

1、事故機の後部圧力隔壁が損壊し、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に流出したことによって、機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こった。さらに、4系統ある油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出し、操縦機能の喪失が起こった。
2、圧力隔壁の損壊は、隔壁の接続部の金属疲労によって発生した亀裂により、隔壁の強度が低下し、飛行中の与圧に耐えられなくなったために生じたと推定される。
3、この亀裂の発生は、1978年に起きた同機の「しりもち事故」の際に、米国ボーイング社による修理が不適切なものであったことに起因する。また、点検でこれらの異常を発見できなかったことも事故原因に関与したと思われる。

調査資料の廃棄とCVR音声の流出
2000年8月、運輸省航空事故調査委員会が保管期間の切れた一部の事故調査資料をすでに廃棄していたことが毎日新聞などにより報道された。再調査を求める遺族や航空関係者からは運輸省の対応を批判する声が上がった]。

また、2000年7月ごろには、事故機のコックピット・ボイスレコーダー(CVR)に収録された音声を再録したテープがマスコミに流出し、その一部音声が8月に入って相次いでテレビ放映された。】


第76回:日航123便はなぜ墜落したのか(森永卓郎)

日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る 青山 透子 著

123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(2015/08/12 11:47)




 Yahoo!ニュース・時事通信より
入念指示で「事故防げた」=ボ社任せ、責任否定―送検16人供述全容・日航機墜落
【520人の犠牲者を出した1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故で、群馬県警が業務上過失致死傷容疑で書類送検した20人のうち、ボーイング社の4人を除く日本航空と運輸省(現・国土交通省)の16人の供述の全容が11日、明らかになった。

 「ボ社に任せた」とする責任回避の姿勢が目立ち、整備で入念に指示すれば「事故を防げた」との複数の供述が存在していた。

 事故は12日で発生から33年で、今年12月で送検から30年。ボ社側が事情聴取を拒否したまま、20人は不起訴となっており、16人全員の供述全容が判明したのは初めて。

 事故の第一原因は、78年の尻もち事故後、ボ社が後部圧力隔壁を修理した際のミス。県警はボ社のほか、ミスを見逃したとして、日航の「領収検査」と定例整備の担当者12人、運輸省検査官4人を送検した。

 関係者によると、領収検査を担当した当時の検査部長は調べに対し、(1)ボ社に任せれば安心(2)担当部がすぐ行ける東京でやる安心感(3)できる限り早くやれ―という背景があったと説明。「責任を感じるが、検査課長を信頼し、任せていた」と供述した。

 これに対し、検査課長は「技術部がやってくれると判断した。検査部長は何もしなくてよいと言った。ボ社を信頼した」と供述。「義務を果たしたが、内容的に足りなかっただけだ」と主張した。

 一方、技術部機体技術課長は「主管は検査部で、協議調整を受けておらず、責任は負わない」と強調。「ミス防止を考えることに無理がある」とも述べていた。

 ある運輸省検査官は「国の検査は二次的、後見的」と主張。ただ、別の検査官は「国の検査は最後の砦(とりで)。道義的責任は感じている」とも話していた。

 墜落前年11~12月に定例整備をした日航の整備主任は、修理機との指示はなかったとした上で、「広範囲で、嫌な仕事を与えられたという意識で、ザーッと見る怠慢な検査をした」と述べた。

 上司ら5人は「事故機と気付かなかったが、修理した機だからよく見てくれと指示し、確実に検査すれば、事故は防止できた」「修理したことは頭にあったが、通常と同じ指示を与えただけ。指示していれば、事故は防げたと思う」などとする同様の見解を述べた。】