長崎県・石木ダムの主目的は、佐世保市の水源確保という。
しかし、工業団地になるはずだった場所は「ハウステンボス」に・・
水の需要は先細りで、すでに目的を失っている。

一度動き出した公共工事は、目的を失っても なぜ継続されるのだろうか?

西日本豪雨では、(水害を防ぐ)治水ダムを守るため行われた緊急放流で、堤防が決壊。 
倉敷、大洲、水没した地域では多くの方の命が奪われた。

水害を防ぐ筈の治水ダムが、被害を拡大し住民の命を奪う皮肉な結果に。

「もう放流はしないでくれ」緊急放流で堤防決壊=ダム行政の”限界”【西日本豪雨】
想定外の豪雨で・・肱川決壊は人災!?鹿野川ダム・野村ダムが洪水被害を拡大

ダムは本当に必要だったのだろうか?

上流のダム湖は豪雨で水位が上昇、段階的に放流。
流れの静かだった下流は、豪雨+急な増水で激流に。

雨は間段なく降り注ぎ、水位は更に上昇しダムは決壊寸前。そして緊急放流・・
緊急放流による鉄砲水で下流の堤防が決壊、周辺地域は水没し 多くの方の命が奪われることに。

ダムがなければ、緊急放流がなければ・・被害はもっと小さく、死者を出すこともなかったのでは?

そしてラオスでは、売電のためのダムが、豪雨(施工ミスとの情報も)で決壊、
多くの死者・行方不明者が・・
ラオスでダム決壊、数百人不明…大雨で貯水限界

人災ともいえる事故で多くの犠牲者を出した、ダムは本当に必要だったのだろうか?
貯水限界を超えれば、ダムも人を殺す凶器となる・・関係者は、改めて自覚すべきだろう。

 Yahoo!ニュース 特集より
「ここが沈むとは思ってない」 長崎県・石木ダム計画の問い

【「俺たちはここが沈むなんて思ってないからコメを作り続けてる」――。今年5月下旬、長崎県川棚町の川原(こうばる)地区。棚田に水を張っていた中島昭浩さん(55)はそう言った。

 ここでは今、石木ダムの工事が動き始めている。計画の浮上は半世紀以上も前のことで、「50年以上要らなかったのだからもう不要」と訴える住民の反対運動はやまない。

 一方、熊本県ではこの春、日本初のダム撤去工事が完了した。同じ九州での「新設」と「撤去」。二つの地域を歩きながら、公共事業のあり方を考えた。(笹島康仁、吉田直人/Yahoo!ニュース 特集編集部)

計画が持ち上がったのは1962年。半世紀以上の年月が流れてもダムはいまだ完成していない。いったい、こののどかな地域で何が起きているのだろうか。

県「急いで造らなくちゃいけない」

計画が浮上した当時、日本は高度経済成長の道をひた走っていた。隣接する佐世保市では、県が工業団地を造成。旺盛な水需要が予測されていた。石木ダムの目的も、中心は佐世保市の水源確保にあった。

現在の計画は、石木川を挟んだ山と山の間に高さ約55メートルの壁を造り、有効貯水量518万立方メートルのダムを造る、という内容。総事業費は約285億円に上る。

住民「50年要らなかったダムです」

住民の石丸勇さん(69)は「50年間要らなかったんだから、いまさら造る必要性はないはず。必要ないダムの犠牲にはなりたくない」と言う。

住民たちの主張する「反対の根拠」はこうだ。

治水面では、石木川の流域面積は川棚川全体の約1割。川棚川の治水効果はそれほど高くない、ダムよりも河川改修のほうが重要、と主張している。

水の需要はどうか。佐世保市は過去から現在に至るまで、水道利用が高まると予測してきたが、実績は横ばい、あるいは低下が続く。工業団地になるはずだった場所には現在、レジャー施設「ハウステンボス」ができている。

住民の多くは「これから人口が減るのに使う水は増えるなんて、そんなことがあるのでしょうか」と口をそろえる。



強制収用は2度目 最初は戦時中

そうした経緯をたどりつつも、県は完成を急いだ。2014年には一部の土地について、法に基づいて強制収用の手続き開始を告示した。ダム周辺の道路整備から工事にも着手している。

石丸さんは「川原が強制収用に遭うのは2度目です」と明かした。最初は太平洋戦争の最中。軍需工場建設のために田んぼを手放さざるを得なかったのだ、と。

「あの時代は大日本帝国憲法。(国民に主権はなく)抵抗することもできなかった。でも、今は日本国憲法です。変わったはずなのに、この川棚町では今の憲法が適用されません。私たちは普通の生活がしたいだけなのに」

公共事業の議論、理想の形は?

反対の声が広がってきたとはいえ、一度始まった公共事業はなかなか止まらない。ただ、同じ九州には「日本初のダム撤去」という実例がある。

熊本県八代市の荒瀬ダム。アユの遡上で有名な球磨川の中流にあり、戦後の電力需要を賄うため、熊本県が1955年に造ったダムだ。撤去の完了はこの3月。日本には約2700基の本格的なダムがあるが、撤去は他に例がない。


荒瀬ダムの撤去跡。そばに住む女性は「腐った水のにおいがなくなり、水害の心配もなくなりました」(撮影:吉田直人)

ダムができて逆に水害が増えた、球磨川の代名詞だったアユが姿を消した……。ダム撤去に向けては数十年に及ぶ議論があった。

「例えば、ライト兄弟が空を飛ぶまで、誰も空を飛べるなんて思っていなかった。だけど、飛べると分かると、あちこちで空を飛ぶ人たちが出てくる。ダムも同じです。『撤去』という選択肢ができた。この動きは広がると思います」】一部抜粋