愛媛新聞社説
【 有害物質に対する国の安全基準値はさまざまなルールで設定されているが、今回の措置だけは容認できない。

 東京電力福島第1原発の事故を受け、被ばく線量基準を検討していた国の放射線審議会基本部会が、
平常時の一般住民が被ばくする限度の緩和を容認する方針を出した。

 これまでの限度とされていた1ミリシーベルトを達成することが当面、困難となったため、
年間の被ばく線量を20ミリシーベルトまでの間で「中間目標」として設定できるよう提言するという。
 国民の命を軽視した理不尽な理屈であり、とうてい理解は得られまい。

 そもそも日本では、緊急時を想定した放射性物質の摂取基準値を設定していない。このため国は事故後、
手当たり次第に食品や土壌などの暫定基準値を打ち出した。

 それとて科学的根拠がある数値ではない。これ以下なら安全という目安でもない。他の基準値との整合性を整えるため、摂取量を緩めるという場当たり的な方針だ。
 基準達成を目的とした緩和に正当性はない。政治の責任逃れであり、本末転倒であるといわざるを得ない。

 東電の責任の重さも、あらためて問われねばならない。事故時の原発操作マニュアルさえ全面公開しない
など、加害者としての自覚を著しく欠いたままだ。

 東電の責任をあいまいにしたままの緩和方針に、強い違和感を覚える。本来なら、国民の被ばく線量が従来の基準値を超えた場合に、国や東電が徹底的な健康状態の追跡調査をするのが筋だ。

 ただ、微量な有害物質の影響調査は難しい。多くの有害物質の基準値は科学的に導かれた数値ではない。放射線量にいたっては実験データさえほとんどないのが現状だ。

 年1ミリシーベルトという基準値も、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告値に過ぎない。
 つまり基準値は、避難勧告を出したり健康被害を想定したりする地域や範囲をにらみながら、国が設定する値だ。国民にどこまで我慢を強いるかの政治的判断といえる。

 だからこそ国には、今後も起こりうる事態を想定し、国民の健康を守る義務がある。原発を推進するため、
放射線被害のリスクから目をそらしてきた歴史を、いまこそ修正しなければならない。

 基本部会は、線量低減を図るための目安であることを強調している。
しかし、その間にも発生するおそれのある国民の健康被害について、どう対応するのか。

 国は今後、放射線審議会の答申を受け基準値を含めた法整備を進める。その際、基準値の根拠について、国民が納得できる説明が必要だ。 基準値は、つまり政治の「責任値」である。】

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 被ばく限度を緩和して、すべては風評被害と賠償金を節約し、責任の所在を有耶無耶にし、
日本人全員を等しく被ばくさせようという、政府や東電、原子力村の悪巧み?に騙されてはいけません。
後で気がついた時に、既に癌になっていたでは、取り返しがつきません。

 まして、ご自分の愛するお子さんを被ばくさせては、悔いても悔い足りない、謝っても謝りきれない、
お子さんを失ってから気が付いても、お子さんはもう帰ってはきません。
お子さんを守れるのは、お父さん、お母さん、他の誰でもない、あなたたちだけなんですよ。