理屈で説明がつかないことを信じない弊害 | 人生を変える「習慣化」ブログ

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習慣化コンサルタント古川が綴る「人生を変える習慣」
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を使命に、日々の気づきを発信しています。

 

習慣化コンサルタントの古川です。

 

最近読んだ本、

このようなことが書かれていました。

 

膨大な量のデータをグラフィックで示す

 

高度なコンピュータによって、

ニュートン物理学では解読できなかったり、

意味のないデータ(カオス)として無視されていたものが、

その存在さえ知られていなかったシステムが明らかになりました。

 

以前はわけがわからないと思っていたデータが、

突然もっと筋の通った方法で理解できるようになったのです。

 

「パワーか、フォースか」 デヴィッド・R・ホーキンズ より引用

 

 

自然現象というものは、

46億年の前から何も法則は変わっておらず、

そこに織り込まれている内蔵秩序秩序通りに

ずっと動いてきました。

 

近年、コンピュータの技術で

2週間先の天気が予測できるようになり、

津波や台風、疫病など含めて

昔ならば祟りではないかと思われていたことが、

今では自然科学で実に理路整然と語れるようになっています。

 

それでも自然現象の8割は説明がつかない

ことが多いと思いますが、

科学やコンピュータにより「理屈」で説明がつくようになりました。

 

さて、私たちの心や人生という分野はどうかというと、

科学やコンピュータによる「理屈」の説明は

自然科学に比べるとまだまだ進んでいません。

 

心理学はたかだが100年ぐらいで、

人間の心や人生というテーマは、

ほとんど「理屈」で科学的に説明がついていません。

 

人生に起きてくる様々な出来事は

自分が引き寄せていることもあれば、運もある。

 

幸せとは何か?自分らしい人生とは何か?

 

では、幸せに生きている人の統計データを

スーパーコンピューターで分析すれば

なんらかの法則やパターンが見えてくるでしょうが、

人文科学というのは、そのような試みがなされません。

 

 

だからこそ、理屈で語れることが少ないからこそ、

理屈ではなく、目に見えない世界というものに

オープンマインドになることが重要ではないかと思います。

 

もちろん、目に見えない世界というと、

オカルトだとか怪しい宗教をイメージされるかもしれませんが、

「理屈で説明がつかないこと=信じない」

ならば、私たちは人生や自分の可能性を大きく狭めてしまいます。

 

因果応報

 

「いいことを念じ、善行を積み重ねれば、いいことが返ってくる」

という、お坊さんの話を科学的に統計データで示されなければ信じない。

 

となれば、「人生・幸せの法則」は

いつまでも見えないままになります。

 

こういう話は、「理屈」ではなく、

「直感」で全体性・妥当性を自ら判断して、

腹に通すセンスが必要です。

 

あくまで「目に見えない世界」を全部信じましょう。

となれば、それは有象無象ある情報の選択が効かない。

 

そうではなくて、私たちの中にある身体的な知性、

深遠なる内なる知恵に響かせてみる。

 

それは、理屈はどうあれ、

「正しいと思う」「ぴんと来る」「心に響いた」

「腑に落ちた」となれば、それを信じて、

生き方に反映する。

 

そんな姿勢が必要ではないかと思います。

 

それは人類の歴史であれば、

キリスト教、イスラム教、仏教が

常に人の人生に関わってきたように、

心や人生は「科学」になりきれないからこそ

見えないものを大切にすることが

1つの重要な知恵ではないかと思います。

 

 

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