変化・変容のプロセスには痛みが必要 | 人生を変える「習慣化」ブログ

人生を変える「習慣化」ブログ

習慣化コンサルタント古川が綴る「人生を変える習慣」
人生が変わった!という深い感動を共に味わう
を使命に、日々の気づきを発信しています。

 

習慣化コンサルタントの古川です。

 

 

私が本質的に提供したいと思っている価値は、

「習慣」というよりも、

「より自分らしく生きる」「より豊かに生きる」

という選択ができること。

自分の人生を変化・変容させることにあります。

 

そのために、あらゆるレベルの習慣(行動、思考、感情、環境)を

変えることは本質的なアプローチだと思っています。

 

だから、習慣化というテーマを追求していますが、

常にその先にあるもの、大きなコンテクストは

人生、豊かさ、自分らしさを生きる、が主題です。

 

これまでの、どの本をとっても

人生という文脈がない本はないと思います。

 

さて、では主題となる

「変化・変容」はどのようにして生まれるのか?

は、私にとって最大の関心事であり、研究の本題です。

 

私が、習慣化の学校や企業変革の全てで追求しているのは、

好ましい状態への、本質的な変化・変容です。

 

習慣化を超えて、変化変容が起きるプロセスは、

以前も紹介したように、以下の5つのステップです。

 

細かい説明は、

こちらの記事に譲るとして、

https://ameblo.jp/syuukankaconsulting/entry-12463438544.html

 

今日は、変化・変容の前には「壮絶な痛み・苦しみ」があるということ

それは、変化・変容を果たすための、好ましい状態であることを

書きたいと思います。

 

 

 

私の例でいえば、

 

大きな変化・変容は、

会社員の身から独立するという選択でした。

 

よく、

独立するには、勇気が要ったでしょうね。

怖くなかったですか?、お金の心配はなかったですか?

大企業にいるステータスを捨てるのは勇気が要ったのではないですか?

 

と聞かれるのですが、

あまりそういう感覚はありませんでした。

 

なぜなら、上記でいえば、

「もう、会社員でいることが限界だったからです。」

 

低次元の表現をすれば、

「嫌でやめた」、ということになりますが、

会社が悪いとかではなく、

もう、自分の望む生き方と「会社員」という生き方が

決定的に断裂していて、分離していて、ごまかしが効かないぐらいに

ギャップが生まれていたのです。

 

これは、上司が嫌とか、社風が気に入らないとか

という低次の嫌ではなく、

魂の求める働き方・生き方と現状の働き方・生き方が

違うというレベルでの根本的な違和感というギャップでした。

 

 

これは、言語化しにくい辛さです。

上記のステップでいえば、

 

薄々、そういう不満を持っていたというレベルでは、

ステップ2でしたが、ステップ3の感情的臨界値、

「超嫌」というレベルに達したとき、

初めて洞察の瞬間がやってきました。

 

「雇われない生き方」

というリクルートのアントレの広告に刺激され、

「渋谷で働く社長の告白」

という本に心を突き動かされ、

「コーチングやってみたら」

というアドバイスに啓示を受けたような感覚を得ました。

 

それらはすべて、ステップ4の洞察の瞬間です。

 

でも、これらはなぜ、起きたのか?

情報がやってきたからではありません。

 

上記のような情報はいつもあったからです。

 

それが

 

「洞察の瞬間」

 

 

になるのは、

 

 

その手前にある

壮絶なる、感情的臨界値(嫌・苦しみの限界)を感じるから

降ってくるのです。

 

 

芋虫が蝶に変わるのと同じです。

 

芋虫にとって、蝶に変わる変化・変容は、

壮絶なる内的な痛み・苦しみがあるはずで、

芋虫にとって、自らの終わりは胸の細胞が張り裂け、

目がもげて、体がバラバラになる終焉です。

 

芋虫としての段階の終焉は、

人間から見たら、蝶に変わるステップとして

美しく見えても、芋虫にとっては相当なる痛み・苦しみの臨界値を迎えるプロセスです。

 

 

でも、それを経るから変化・変容が起きます。

 

私たちはこの世に生まれてきたプロセスも同じです。

 

お母さんのお腹の中から生まれるとき、

お産の前はどうだったか?

 

 

まず、子供を宿ってからやってくるのは、

深い感動や喜びという次元のあるとしても

現実的には「悪阻」という苦しみです。

 

こればかりは、男性には分からないものですが、

相当なる苦しみです。

お産のプロセスで、個人差はあれど母が味わったプロセスです。

 

生まれる前はどうだったか?

オギャーとうまれた感動的瞬間にフォーカスが

当たりますが、お産をする母にとって壮絶なる陣痛とお産の痛みがあるわけです。

 

これを経て、私たちは誕生してきました。

 

お産の話と私たちが

「やりたい仕事を見つける」

「自分を成長させる」

の何が関係するのかと思われるかもしれませんが、

知識やスキルをアップするとか、仕事でも新鮮な刺激を味わうという

レベルの変化ではなく、

新しい自分の生き方、働き方を生み出すという変化、変容をする

というレベルにおいてはお産と同じだと思うのです。

 

誕生や飛躍の手間にあるのは、

痛みや苦しみであって、それが新しいものを生み出す。

 

 

絶対に変化・変容が生まれない状況は、

 

「まあ、今の現状に大きな不満はないんだけど、

 よりよい生き方、働き方ができたらいいな。

 自分の夢をつくりたい」

 

という精神的次元にある人です。

 

悪いと言っているのではなく、

この次元、つまりステップ2にある人は、

 

現状を手放すことができません。

 

 

つまり、私が独立するときに、

 

「勇気がいったでしょう」

 

と質問されるケースは、ステップ2にあるから

現状の安定、安全、ステータス、お金を捨てるのには

随分勇気が要ったでしょう。

 

となるのです。

 

しかし、現状を手放さざるを得ないほどに、

現状の生き方・働き方と心の深い部分が求めるものが

違うとき、それは現状が苦痛きわまりないものであり、

現状に執着するというより、

現状を手放さざるを得ないほど、新しい未来に行かなければ

いけないほどの精神的状況にあります。

 

これが飛躍的変容・変化の一歩手前のステップです。

 

そして、これは、ストレスという意味では

ネガティブですが、このステップは

大きくジャンプする前に深く、

しゃがむのが必要なように、

 

変化変容への欠くことのできない、

省略することのできないステップです。

 

 

この感情的臨界値にあることは、

だからこそ、喜ばしいことで、

あとは洞察の瞬間を待つばかりなのです。

 

この洞察の瞬間を得るのは、

単純ではなく、相当オープンマインドで

受け取ることが重要で、人と会い、たくさんの情報や智慧に触れ、

多くを試し、身体感覚を通じて、覚醒するような気づきです。

 

直接的、即効的な理論などは通用せず、

もがくことが洞察を迎える上での鍵です。

 

習慣化の学校という1年のプロジェクトを

やっているのは、

 

少なくとも、

人生において

何らかの

 

感情的臨界値

 

を迎えている人だけがやってきます。

 

今までの生き方・働き方と

魂のレベルで欲しているものが違う。

 

こういう壮絶な違和感を感じている人が

洞察を迎えるための探求をする場所であり、

そういう仲間であり、ワークの集積です。

 

体当たりでぶつかり、

悶々とした日々も送り、あるとき突然

啓示のようなひらめきを迎える。

 

こういう意図を持ってやっているプロジェクトであり、

孵化のためには、1年間というじっくりコトコト煮込むことが必要なのです。

 

学校の宣伝のために書いているわけではなく、

結局変化・変容していく人は、

 

その手前で

 

 

「もう、嫌だ!こんな生き方、働き方は!」

 

という心の悲鳴、叫びがある。

 

これを

私はステップ3に進んだとポジティブに解釈します。

 

下手にこの感情を静めるのではなく、

むしろさらに限界まで引き上げる。

 

「それでいいんですよ」と励まします。

 

洞察の瞬間が生まれたとき、

その本質的意味が理解できます。

 

 

これは私に言われるまでもなく、

誰しもが経験していることではないでしょうか?

 

 

もし、あなたが

 

今の生き方・働き方に

感情的臨界というレベルの違和感・苦しみを

抱えているなら、

 

ステップ5の変化・変容はもうすぐですよ

 

と言いたい。

 

誤魔化しが効かないレベルの違和感は

変化の一歩手前。

 

いい感じで前に進んでいますよと。

 

 

今日のメッセージはこれです。

 

 

 

 

\\ 毎日朝、3分読むだけで
人生のベクトルがどんどん変わる!//

行動、思考習慣に関する気づき、
事例や文献、パーソナルな出来事など
具体的な事例紹介はもちろん、

読者限定の特別な情報が
あなたのスマホに届きます。

ご登録はこちらから↓↓↓