政教分離という面がクローズアップアされる理由もどことなく浮かび上がる。特定の宗教と政治を切り分ける区分の不明瞭性について、一定の厳密な基準を課し、両者の曖昧な相関による弊害への手立てが講じられないと、宗教が政治の手段と進み、実態は経済活動の色合いが深まり、私的利益の追求手段という色合いが浮かび上がる。
私的な利益を追求するのに、政治権力を用いて特定の利害関係者へ不明瞭な基準による損害を与える事への歪さが鮮明化される。公金を特定宗教団体へ回すという実態とも映し出され、宗教という本来的な意味とはずいぶん乖離した活動を認識する事へ及ぶ。
信仰の自由という理念の世界と、理念を実現する方法の世界として両者は区分され、信仰世界が手段を強いて理念を遂げる組織的な活動が見られれば、信仰というよりも経済活動の色合いが進み、政治権力を特定宗教団体の為に用いる相関が掴みだされる。
ここに人権侵害という性格が起こり、国家の存立基盤を破壊させる原因が映し出される。国家権力を特定個人の抑圧の為に用いる事を指し、立憲主義の空疎性と把握される。権力の恣意的暴走事態へついて、箍を嵌めるという憲法の性格が崩れ、悪性の宗教が個人を破壊し国を滅ぼす危険が想定される。無教養、浅はかな思慮の政治家や財界人、マスコミなどが出現する程に、絵空事の理念やビジョンを訴求され法を私的欲求の獲得に用い、根幹的な肝要点を見失い、長期利益を喪失させる事について深刻な関心と対策が望まれる。
こんな点が、どこの空間においても問題視され、意識に常態させ、歪んだ現象への対処や予防が図れることが望まれる。人間の健全な緊張をなし崩しにさせ、利己的性格を勝手気ままに進行させる事への制限を強化して基礎基盤の破綻が免れる。深みある解釈に及ばない、空疎な憲法の実態と及ぶ事なく力の大きな配置には、健全な感性と発想と行為の質実の測定をもって、恣意的な暴走事態の予防に連なる。掛け声のみで、理念が空疎で質実に及ばない政治家などが顕著に浮かび上がる。
冗談ばかりに逃げて、物事の真相真価への探求力が萎む事には警戒感が強まる。本旨は外さず、緊張と適度な緩和を図れる主体性に健全像が浮かべられる。この切り分け感覚がだらしない事への不快感が顕在化しているようにも映ります。肥満症の政治はそろそろ終焉にするような良質な勢力の台頭が望まれる。時代の転換期に基盤の良性が厚くなって自由の躍動も良質化する。