哲学と生産性 | bisui.nihon 美粋書房

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『日本文化原論 真なる調和への道 神からのブラボォー』
(著 横山俊一)販売中

人の事ばかり気になって、自己の創造力が高まらない事には良好な精神性は浮かばない。人々へ対して何が利益になるか、自己の出来そうな技術力の開発と提供と対話の機会を、一定程度絞り込まないと、あれもこれもと目が映り、批判ばかりに意識が向けられる管理願望過多の性格が作られる。技術開発という創造力をある程度絞らないと、根源の原理も体や感性に内蔵されず、外界へばかり文句を放ち、自己を顧みない歪な欲求過多の体質が進行して、その歪さが鮮明に外界から認識される。

技術と市場の絞り込みから、間接的な因果への視野が及んで、固有技術と顧客の交換から資源管理などへと及び、外界の利害関係者の広がりを認識し、一事業体の全体を把握する流れが生まれる。技術職から次第に管理型の感性が形成され、固有技術をより良く伸ばす管理技術という技術の拡張をもって、質実の良い果実を生み出す主体性が形成される。

この過程で各種の正負を体験し、反省と学びの周期をもって各種概念が形成され原理原則を内蔵する生産性と人間性が生まれる。外界への過度な要求へ及ばず、価格と負担と質の形成を利害関係者との間で作り上げる活動が常態して、妙な批判ばかりを投げかける性格に及ばない、適正感が宿される。

固有技術と管理技術といった両面への思慮が及ばぬことには、虫食い的利益を求める態度への制御性が果たされず、外界ばかりが気になって、管理願望ばかりが態度に表出する。

一過性の宣伝技術ばかりに偏って、中身が充実せず、空疎な技術と外観の派手さを訴求して人の目を引き、糧を得るという規則性が深まり、混乱的な性質が浮かべられる。

「悪性のマスごみ症」ともいう人間性を指し、社会システム上の基軸とは外れた、変わり者や季節者の様相と浮かび上がる。こんなような分母的常識と、局所的な性格づけに適度な世界観が生まれる。

批判精神にも多様な性格が起こり、ただの我儘のような態度から、確たる尺度の形成をもって有用な批評を起こされる人まで、多種多様な程度が伺える。根源には、生命観が備わり、自存と共存の適正感覚をもって、外界への最良の利益を作り上げるエネルギーが投じられる。自愛願望が激しく、他者の生命を粗末にするような表現が多発する事には、根源的な劣化現象と見做して、適度化される力が働く。

基礎の可笑しなへんちくりんなタレントなどは、やけに目につき、他領域への悪性を生じさせる。自己の認識が図られず、あれもこれも中途半端に、かじりつき、妙な踊りを見せて、糧を得るような醜態と映し出される。変わり者や季節者と定番と言った長期性の変わりづらい価値体系が一定の健全性を果たす重しと描かれる。

弁護士や政治家等という表面性に誤魔化される事なく、根源の焦点をもって、人間性を映し出す素養が強まって、良好な社会秩序が進む。芸能人でも確たる哲学を覗かせる人々は少なくない。