歴史と理論化 | bisui.nihon 美粋書房

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『日本文化原論 真なる調和への道 神からのブラボォー』
(著 横山俊一)販売中

反省と学びは、人間の成長に欠かせない周期性を指す。しかし、他者へ損害を与え、「すいません」等という反省の弁で留まると、頭の可笑しな性質が明瞭となる。この手の性格に、力を与える事は間違っても出来ず、無能でだけでなく感性も壊れており、真面に相手をするに及ばない。

馬鹿なだけなら、許容性も少なからず起こるものの、感性が破綻しているのは、許容できず、ゴミ扱いをすることに適正が起こる。典型的な精神破綻を見る事になり、特異な成長過程や、ストック過剰でフローの適正を欠いた不健全な人間性そのものを指し、酷く不快感を起こされるのが通常と思われます。

まるで反省が形骸化し、自利ばかりに偏して、他者への損失について真面な感性が起こらず、成長意欲の薄い、創造力の乏しい性質と伺える。頭と体の分断や形骸化から、真面な感性が宿らず、歪な精神性が露になる。

「辞めて済む」という発想に、民間事業者では考えられない醜態が映り、実質的な真相真価を重んじずに形式上の役職を解いて、それでおしまい。等というけじめのつけ方は、病理的であり、負を正にして後世に繋ぐ意識と行為へ至るのが、健康な性質と映し出される。こうした性格の程度を早期に掴んで、関わり方の程度が起こり「浅く短くか深く長く」という態度が作られる。バカな奴なら許せるものの、感性の腐った奴は許容できない。

こんなような体験を少なからず味わいながら、人との付き合いを選ぶのが健康な活動を表し、そして、主導的な配置の要件等として明瞭に刻まれ、歴史と理論を作りあげる事へ及ぶ。適正な人間像や社会像、世界観や思想と起こされる。しょうもないボンボンとは、感性が破綻している人間性と規定される。これの早期発見が欠かせない。