坐禅会法話 2019年2月17日 | 珠泉院ブログ~日々のつれづれ~

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岐阜市三田洞にひっそりと佇む 臨済宗妙心寺派のお寺です。
禅宗というと厳しい、敷居が高いと思われがちですが、そんなことはありません。
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岐阜市三田洞にひっそりと佇む臨済宗妙心寺派のお寺、珠泉院の寺庭です。

※住職の妻のことを、臨済宗では寺庭(じてい)と呼びます。

 

 

今日の坐禅会でした法話です。

 

皆様お疲れさまでした。最後に少しだけお話させて頂きます。

先日水泳の池江璃花子さんが白血病を発症という報道がありました。まだ十代で、選手としてもこれからまだまだ活躍出来るという時期に病気発覚、本人の気持ちはどれほど大変かと思います。このような話を聞く時、私がいつも思い出すのは、無門関第二則の百丈野孤という話です。

無門関というのは禅僧の入門書というべき本で、四十八個の公案、いわば禅問答が集められた本です。その第二則、百丈野孤は禅の公案の中でも最も難しい公案の一つと言われています。私自身どこまで話すことが出来るか分かりませんが、ここに紹介させて頂きます。

百丈和尚は中国、唐の時代の禅僧です。この方が説法をしている時にいつも一人の老人が話を聞いていました。ある時説法が終わっても老人は帰らなかった。そこで百丈は尋ねました。「お前は何者か」すると老人は「わたしは人ではありません。大昔ここで住職をしていました。ある時ある修行僧が私に修業し悟りを開いた人は因果(この世界のルール、原因と結果、苦楽生死の運命)に落ちるのでしょうかと尋ねたので私は因果に落ちない(不落因果)と答えました。それ

が誤りだったため、私は五百回野狐として生まれ変わっています。どうか一語答えていただき私を野狐の身から解放してください。」といい、百丈和尚に尋ねました。「修業し悟りを開いた人は因果に落ちるのでしょうか」百丈和尚は「(修業し悟りを開いた人は)因果を曖昧にしない(不昧因果)」と答えました。その言葉で老人は悟りを開き、百丈和尚に礼拝してどうか山の奥に住む私を弔ってくれと言いました。

ここまでなら話は分かりやすいです。この世界、我々には生老病死をはじめとする因果があって、修業し坐禅を行うのは、その因果を避けるためではなく、その因果を受け入れ、ごまかさないようにするためということ、老いや病、死を受け入れて、だからこそ生きている尊さを知るという話で完結します。しかしこの話にはまだ先があります。

百丈和尚は弟子に告げて昼食後に山に入り一匹の死んだ野孤を見つけ、火葬しました。そして夜、弟子たちに子の一連の話をしました。すると、弟子の黄檗(臨済宗の宗祖臨済義玄の師匠に当たる人物。当時は百丈の弟子)が質問して、「その方は錯って語を言ったために野孤に堕ちました。それなら錯らなかったなら何に生まれましたか。」と問いました。そしたら百丈和尚が、「近くまで来い、お前の為に説いて聞かせよう」と言います。すると黄檗は進み出て、百丈和尚の前に来ます。そしてそのまま黄檗は百丈和尚を平手打ちしました。すると叩かれた百丈は手をたたいて笑い、「達磨の赤鬚が居ただけでなく、赤鬚の達磨がもう一人いた」と言いました。

これが話の続きです。一見何のことかわかりませんしかしここに因果を超えるものがあるのです。

人はなぜ病を恐れるのでしょうか。それは病が体をむしばむものであるからです。しかしそれだけではなく、それと同時に、人は健康な体を羨ましがることで苦しむのです。病が人を苦しめだけでなく、健康に執着し今の自分の病から目をそらす心が、自身を苦しめる、自分で自分を苦しめているのです。

江戸時代の禅僧良寛禅師は地震に被災した方に

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」

と手紙を贈っています。なぜ私が災難に会うんだと思っている時その心は災難に向いていません。そうでなく災難とそれを受けた自分自身をしっかりと見てその事実を受け止めたならば、純粋な悲しみやショックを味わうと同時にそれを何とかしようとする意志も覚悟も生まれます。なぜ、どうしてという因果論を飛び越えて、今自分自身がここに生きているという事実それが何よりも大きい立派な事だと。

かつて老師に言われました。掃除するなら箒に成りきれと。人間は掃除をするとなぜ掃除をするのかといった不満や愚痴など色々出るが、箒は一切そんなことを言わず全身全霊掃除をしている。箒の方がよっぽど立派だと。「今、ここ」での行い一つ一つに一意専心全力をつくす。それこそが因果すら存在しない、自由自在の自分自身ではないでしょうか。それは言葉では表せない。だから黄檗は百丈を平手打ちにすることでそれを示し、百丈もそれをしっかりと受け止めたからこそ手をたたいて喜んだのでしょう。

池江 璃花子さんはツイッターに「今は完治を目指し、焦らず、周りの方々に支えて頂きながら戦っていきたいと思います」とコメントを出しました。しっかりと病をうけとめ、向き合って治療に専念しようとしている姿、本当に応援させて頂きます。

正岡子規は結核からの脊椎カリエスで晩年非常に苦しみましたが、その時にこういう言葉を残しています。

「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」

病の時は病に、災難の時は災難に、嬉しい時はうれしさに悲しい時は悲しさにしっかりと目を向け、かつそれにとらわれないならばいかなる時でも平気で生きることが出来るとおもいます。そのきっかけをこの坐禅で皆様にも得て頂きたく思います

 

 
 
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クローバー日曜坐禅会

日時 毎週日曜日7時~8時

参加費 無料

30分の座禅後に、お経、法話

スティーブ・ジョブスも行っていたいう坐禅。静かな本堂でゆっくりと坐り、自分自身を深く見つめていきましょう。

宗派問わず、どなた様もご参加頂けます。

 

クローバー書道

日時 毎週月曜日15時~18時、19時~21時

月謝 (一般)4,000円 本代500円  (学生)3,000円 本代500円

心を込めて字を書くことで、集中力も養えます。

 

クローバー御詠歌

日時 第一、第三土曜日15時~17時

会費 月額2,000円

花園流、今ここでありがたく唄わせて頂ける自分に感謝しながら、丁寧に唄いましょう。

 

臨済宗妙心寺派 紫雲山 珠泉院

岐阜市三田洞3-25

058-237-2302