サブ245を目指すsyurunのランニングブログ

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◆38歳で走り始め2020年別大で2'47分。ベストは2012年49歳時の2'46分。毎年自己ベスト更新狙って2022年シーズンの目標はサブ2.45で日々頑張ってます。今シーズンからトレイルランニングに取り組み開始。5年以内に100マイラーを目指します

 うーん🤔

 どう言えば良いのでしょう。

 特撮(コンピュータグラフィック)が凄い進化している。
 なのに低予算で出来ている。

で、オスカーにノミネートされた。

昔からのゴジラファンとしては、観とかないと後悔するかも、と思い仕事帰りに観に行く。上映期間も終わりかけていて、17時20分から一回のみ。夕方に時間休みをもらって近くの小さな映画館へ。

観客は自分1人でした😅

うーん、どう言えば良いのでしょう。
なかなかだったとは正直言い難いというか、特撮は確かに素晴らしいのかなぁと思うが、映画をそういう事だけで評価して良いのか?

 ストーリー、脚本、俳優、やっぱそこも大事だよと思うのは皆さん同じでは。ダメな訳ではないとは思いますが、優れているとは感じなかったです。

 単なるゴジラ映画じゃん!と言えばそうなんですけどね。

ゴジラゴジラゴジラとメカゴジラ

サザエサザエサザエとメカサザエ

ワカメワカメワカメとメカワカメ

ハイジハイジハイジとメカハイジ

クララクララクララとメカクララ

何か、流行ったけど、シュールで笑えた😂

 浜辺さんにしろ、日本映画界は特定の売れている俳優を使い過ぎな気がします。観客動員目的か?テレビの延長を感じたりして、映画的でない気もします。

 でも、そうは言いつつ、面白かったのは面白かったです。普通に、それほど期待せずに観ると良いと思いました。

 この映画の特撮組が、これからハリウッドにどう評価されて行くのか、興味が湧きました。


 半月板損傷で令和5年12月14日から2月3日までの52日間、一歩も走らないというのは、全く初めての経験で、良くも悪くも大変貴重な体験でした。

 んで、やはり体調的にとても印象が強いのが「睡眠」への影響でした。


 自分は、2022年の9月からガーミンによる睡眠管理を毎日チェックしていまして、最初はちょっとしたオモチャ的に考えていたのですが、科学的な睡眠に関する実験の結果とか、最新の睡眠研究にかなり近い内容で、ガーミンの睡眠分析も行われているとわかってからは、すごく重要視していまして、毎日チェックしています。もちろん、手首に装着した端末からのデータである事は、大前提であります。

 で、最も高い睡眠スコアを出した週のグラフですが、以下2023年11月28日の睡眠スコアです。




まあ、理想的っちゃあ理想的なスコアです。多分、明け方に猫🐈から起こされて3分覚睡したのがマイナス要素だったと思います。

背景には、防府マラソン6日前、疲労を取りつつ調子が上がりつつある時期である事は間違いありません。


 でも、決して狙って98点だった訳ではなく、たまたまなんですね。ていうか、ガーミンのアンバサダーに朝比奈彩さんが就任して、CMで睡眠スコアが98点とか出していたので、どうやってそんな点数出るのか分からなかったし、多分、無理無理ゲーと思っていたので、98点が出た時は自分でもびっくりしました🫢


 んで、それから1カ月後に、半月板損傷がわかり、全く走れなくなって、睡眠スコアがどんどん下がっていくのを実感しつつ、やっぱそうなんだと確信していましたが、睡眠はやっぱランにかなりな影響受ける事を痛感した次第です。


以下、ノーラン期間(1月)の睡眠スコアの推移の一部

良くても70台後半、悪いと50台以下、特にレム睡眠が取れてないケースが多いです。


 ランニングが出来ている時には、考えられなかった睡眠スコア50割れも現実になりましたし、この期間には実際に、悪夢を見たりもするようになっています。


 んで、2月4日別大マラソンの日から、そろりそろりと走り始めて1カ月。

 やっぱですよ!

 睡眠スコアがどんどん回復してます。

 最近のものが以下、



こんな感じで回復しました。

走った距離はと言うと、2月はこんな感じ。


たいして、走ってはいませんが、やはり、ノーラン状態から比較すると、走り始めて次第に睡眠スコアが改善されて行くのが、身をもってわかりました。悪夢も見なくなりましたし、深い眠りができるようになった感覚が間違いなく、あります。

3月になってからは、スコア90台も出始めています。来年こそ、睡眠管理をしっかりして、別大マラソンでその結果を出したいですね。




 今さら、ですが防府マラソンを振り返ってみました。


 2024年12月3日 日曜日・・・防府フルマラソンレース。2023年やってきたことの集大成のレース。
結果は、3時間16分38秒。惨敗のレースでした。

防府読売マラソンについて、詳しくふりかえります。


 当日は朝3時50分に起床。軽く10分程度ストレッチして、洗顔、髭剃りの朝ルーティンを済ませ、冷蔵庫から保冷剤とアミノドリンク2本、保冷バッグに入れローラーバッグに収納し4時25分自宅を出る。気温4度と、まあまあ寒い感じなのでオーバーコートを着て40分ほどで中津駅へ。途中コンビニでサンドイッチを調達。朝5時34分の始発特急に乗車し、小倉~新山口~防府駅へ7時11分着。駅でおにぎりを買って温めてから駅前に出ると、

シャトルバスがない。あれ?


と思ったら8時から発との看板が掲示。え~、去年は7時から出たのに?それならもう1本後の出発でも良かったじゃん!そういうこと大会HPとかどこかで広報したのかな?とブツブツ言いながら・・・仕方ないので駅に戻り、ローラーバックに座って朝ごはんを食べる。10時40分スタートなので、この時間に食べるのは仕方ない。


 朝ごはん食べ終わり、コーヒー買ってどら焼き食べながら、シャトルバス乗り口に並んでいると、やっとシャトルバスが来て乗れる。が、ここでも
補助席まで出して満席で載せるものだからローラーバッグを膝の上でずっと持たないとならず、辟易とした。昨年は余裕の乗車でローラーバッグは横に置けたのにね。しかもバスが会場に🚌到着する8時まで15分間、ず~っと荷物を抱えたまま座って待つことになり、結構なストレスになった。太ももに負担かけないように、腕で荷物を持ったり、ずらしたりして、大変だった。

 8時20分くらいにソルトアリーナ近くの野球場へ到着。ここも昨年と変わっていて、ソルトアリーナまではだいぶ歩く感じ。しかも、ソルトアリーナの更衣室の配置も去年と変わっていて、変な感じ。外の沢山ある臨時トイレに行くのもいちいちナンバーカードか受付票を見せないとダメらしく、ソルトアリーナ内のトイレは数が少なく大勢の人が並んでいて、結局トイレはアップに行く9時20分くらいまで我慢した。
 UPしていたら結構多くの方が話をしていたが、防府駅から大渋滞が発生していて、選手の到着が遅れているらしい。会場でも受付をスタートギリギリの10時まで延長しますとアナウンスがあっていた。応援に車で来た知り合いによると、以前は駐車場に選手以外でもレース開始後に駐車場が空いていれば入れてくれたのに、今回は選手が載っていないと絶対ダメとなり、仕方なく遠くに止めて歩いたらしい。渋滞の発生原因は、新規オープンのお店があったからだとかも言っていた。



とにかく、これまでの運営と大幅に違う変更、しかも全部が参加者にとって不便な方向への変更だったので、とても不満に感じた。


大会へのアンケートとかあったら、絶対色々と不満箇所を書こうと思っていたが、後で大会HPを見てもそういう意見などを書き込めるところが無くて、「ああ~、そっか、そういう目線の大会なんだ」と、これまでの大会運営にはまあ満足していただけに、かなりがっかりしてしまった。別大マラソンは絶対にそうなって欲しくないと祈念した。

前置きが長くなったが、本番のレース展開についてのふりかえりを書きます。



10時40分スタート。気温は度と寒くなく暑くなく絶好に近いが、少し風が出てくる予定。防府のスタートは何年か前から競技場スタートではなく、ソルトアリーナ前の道路に並んでスタートとなった。一応ナンバーカード順(持ちタイムの早い順)に並ぶようになってはいるが、まあまあアバウト。  
特に気になるのは対向車線側に女性ランナーが並ぶ点。女性でもK4分切ってスタートする選手は問題ないが、それ以外の選手は男性のトップランナーとしばらく並走するような感じになり、違うペースの選手の交錯が発生し、危険なのではないかと、毎回いらぬ心配をしている。こういうところの変更はなかったようだ。(苦笑)


 スタートは4’20くらいでと決めていたので、その感じで、周りに少しづつ抜かれていく感じで走り始める。入りのタイムは12秒スタートロスがあり、最初の1Kが4‘17。あれ~ちょっと早いかと思いつつ、その後は4’10、4‘10、4’15、4‘12、4’13、4‘09、4’09、4‘10、4’10と推移。ほぼ4‘10で落ち着き、そのままずっと集団で走る。多分、サブスリーを狙う集団なのかなと思いつつ、集団の中ほど~後方で前を観察しつつ走る。女性も5人ほど入っていて、ナンバーが近いことからサブスリー狙いの様子がよくわかる。

20‘39、20’45、20‘47、と
25Kまでは、ほとんど問題なくキツさも感じずに走れていた。
跨線橋を超えて26K過ぎ、27Kの給水があるなあ、と考えていたら、
次第に右腰のシクシク感が出てきて、そこからはかなり急激に脚に疲労感が始まり、ん~、これはマズイか?とか考えつつ、27Kの給水へ向けメダリストのゼリーを摂る。給水して走っているとさらにキツさが増してきて、何とか30Kへたどり着こうとペースを落としつつ走る。30Kのラップが21’40なので、多分30Kの折り返し前後は5分30くらいにまで落ちていたかと思う。

脚の疲労感に耐え切れず、
30Kを超えたところで一旦STOPし、屈伸をしたりして、少し休む。
30秒程度でジョグに戻り、5分30秒くらいのペースで走り出す。前にもゆっくりになっているランナーがいて、ついていきながら35Kの給水を目指す。この段階でもうサブスリーはあきらめて、完走モードになっていた。プランとしては30KでDNFするとも考えていたが、防府でのDNFはまだ1回もしたことがないので、という拘りもあって、何とか完走を目指す、ただそれだけで走っていた。ただこの段階では、まだ何とか遅いジョグは出来ていて、多分K6分くらいのペースで、ゆっくりゆっくり走っていた。34Kの給水ポイントにたどり着き、休憩。ここで本来はジェルを補給予定だったが、なぜか必要に思えなく、スポドリを飲むだけで終わる。
30Kから35Kのラップは28分01(5分36ペース)なので、ゆっくりではあるがそれほどSTOPせずに走れている。35Kから40Kのラップは31分10(6分14ペース)だったが、
まさに地獄だった。

 防府の駅前あたり?37Kくらいだろうか?脚が攣りそうな感じがあるので、攣らないようにゆっくり走っていたのだが、
突然、ビリビリと左脚がしびれる感じがしてSTOPすると、太ももからふくらはぎにかけて全部が攣ってしまう。立ち止まったまましばらく我慢していると、少し治まってくるが、またビリビリと左脚全体が攣る、を3~4回繰り返し、その間、うめきながらずっと立ち止まったままだった。

さすがに見かねたのか、大会役員?道路審判?と思われる方が、「大丈夫ですか?こちらでちょっと休みますか?」などと声をかけて来たりされ、内心ではリタイアだけは絶対したくない~と思っているので、大丈夫です大丈夫ですを繰り返し、しばらくして治まってきたので、また走り出す、そんなことを何度か繰り返していると、38Kあたりで、同じクラブの1つ下の知人が、やはりグダグダになりながら追い越していこうといsていたので、声をかけると、「もう、最悪なパターンで、これはもう一番キツいパターンやわ・・・」とボヤキながらも自分より少し早いペースのジョグで先に進んでいった。このことが多分、自分にはきっかけになったかと思うが、そこからはジョグのリズムを意識し、コンパクトにピッチを意識しつつ脚を動かし、手も振って、みたいなことを意識しながら脚が攣らないように走った。結局、ここからはゴールするまで脚は攣らなかったので、そういう意味では脚が攣るというのも、何某かの意識を変えたりすることで、治まるのかなと勉強になった。
40Kまでたどり着き、そのままゴールの競技場まで一定のペースで、止まらず走りきる。
40Kからゴールまでは、11分33で走っている。5分15ペースで走れているのは意外だった。

とにかく今回は、足の攣りがこれでもかというくらいに発生し、地獄だったが、どうやれば攣らずに走れるのかなど勉強になった部分はある。「コムレケア」も飲んでいたが、レースの朝に飲んだだけだし、脱水やニガリ噴霧など、もう少し万全を期す対策をすべきだろうと思う。

レース後、速攻で着替えて、ジェルやアミノ水を補給し、車に乗って移動。レース終了後はそうキツい感じはなかったのだが、60分後くらいに、突然、猛烈な吐き気と、腹痛が発生!車で移動中だったので急遽高速のSAのトイレに駆け込んで、食べたもの、飲んだもの、胃の中にあったものは全部吐き出した。何となくそれでスッキリした。そのまま60分ほど水分も何もとらず横になっていると回復した。最初は「低ナトリウム血症」を疑うも、結局水分はほとんど補給せずに(というか飲む気持ちになれない)回復したので、どちらかというとマラソン後のハンガーノックだろうと推測。

今回、初めてだったのだが、「鎮痛剤をレース前60分くらいに服用」して走った。胃がムカムカしたのは鎮痛剤の悪影響で胃腸が一時的に不調となり、ゼリーなどを吸収できず、結果ハンガーノック症状となったのかなと思う。
レース終了後、3時間後にお風呂に入ってかなり回復。水分もとれるようになり、4時間後には居酒屋で生ビールをジョッキ一杯、美味しく飲めたし、鍋も食べれたので、回復は割と早かったと思う。