谷口雄太『〈武家の王〉足利氏』における「武家の王」表現の妥当性について | 玲瓏透徹

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漫画主人公の「海賊王に俺はなる」というセリフについて、「王の定義は何か説明しろ」と突っ込むアホはおるまい。が、歴史学の叙述での「武家の王」という用語法についての突っ込みは許されよう。


【目次】

1、「武家の王」の意味は何か
2、「武家の王」という言葉選びは妥当か

おわりに

1、「武家の王」の意味は何か
 谷口雄太『〈武家の王〉足利氏 戦国大名と足利的秩序』(吉川弘文館、2021年)は、足利氏を武家の中で卓越して尊貴な血筋と見なす観念の成熟と崩壊に注目することで、足利時代を再考する書物である。
 本稿で問題とするのは、「武家の王」という言葉選びの妥当性についてである。谷口氏は同書で、「王」という言葉を選んだ理由についても、「王」という言葉の定義についても、特に説明はしていない。この表現への違和感を覚えるのは、私に限らない。近現代英国史研究者の君塚直隆氏は「読書人WEB」に載せた同書の書評で次のように述べている。

本書の主題とも直結するが、武家の「王」という呼称は著者オリジナルの概念であろうか。それとも足利時代にすでに諸大名から「王」と呼ばれていたのか。義満の「日本国王」とも関連するが、君主号の定義にはやはり慎重になるか、より詳細な定義が必要なのではないか。

 君塚氏の指摘するところは、まさに読者の誰しもが感じているところであろう(と私は信じている)。
 私の知る限り、史料用語としての「王」が足利氏を指すことはまずなく(足利義満らの「日本国王」は明との貿易のための対外的称号であり、国内的に「王」「国王」で通用させたわけではない)、諸大名から足利氏が「王」と呼ばれていたこともない。また、宣教師が残した史料で足利将軍を「王(rei、rey)」と呼ぶ用例はある(松本和也『イエズス会がみた「日本国王」』吉川弘文館、2020年参照)が、言うまでもなく、それは本書で論じられる足利氏=「武家の王」という「武家の共通認識」とは全く次元が違う話である。
 本書を読む限り、やはり「武家の王」は、「著者オリジナルの概念」であると言わねばならない。「武家の王」の意味するところは、同書で使われている言葉でいえば「武家の最高貴種」「唯一無二(代替不可能)の存在(頂点=武家の王)」(27頁)である。「武家の王」は、「武家の最高貴種」「武家の頂点」と言い換えても意味は通る。また、「「対抗可能な存在」(相対的な存在)から「武家の王としての存在」(絶対的な存在)へ」(41頁)という表現にも注目したい。これは、足利氏以外の氏族が武家のトップの座を取って代わることが可能であるという認識を変化させてゆくことに関する叙述での表現である。筆者が使う「王」という言葉には、「絶対的」「対抗不可能」という含意が込められているようである。

2、「武家の王」という言葉選びは妥当か
 では、「武家の王」という言葉選びは妥当なのか。私は大きく2つの理由で不当であると考える。一つは概念の混乱、もう一つは著者の叙述内容とのズレである。

 言うまでもなく、「王」は漢字文化圏で使われていた君主号の一つであり、現在ではKingなどの非漢字文化圏の君主号の訳語としても使われる。周知の通り、日本の男性皇族の称号でもある。日本史学の史料用語としては、天皇を指して使われる例もある(なお、定義不明瞭で論者によって意味内容が異なる、一部日本史学の分析概念「王権」における「王」については、詳述しない。本書で谷口氏は不毛な「王権論」を展開してもいない)。
 これまた周知の通り、王=君主から派生して、何らかの分野で卓越した「スゴい」人などを「王」と呼ぶ、俗な用法がある。「百獣の王ライオン」「発明王エジソン」などがそれである。谷口氏の「武家の王」もまた、そのような「スゴい」ものを指す、俗な用法と同じ使い方であろう。しかし、こと中世史で、安易にこのような「王」の使い方をするのはいかがなものであろうか。「王」と同じように(少しニュアンスは変わるが)、通俗的な使い方をされる君主号に「天皇」もある(例「通産省の天皇・佐橋滋」)が、意味が通じそうだからといって、『〈武家の天皇〉足利氏』などというタイトルで本を出し、本文中で「足利氏を“武家の天皇”とする認識が~」などと連呼しようものなら、同業者からも読者からも(右翼団体からも)「ふざけるな」と突っ込まれること必定であろう。中世の史料用語として「王」というものがあり、また「中世における“王”とは何か」を論じることに血道を上げる中世史家も多少はいる以上、概念の混乱を招く「武家の王」という表現は「武家の天皇」と五十歩百歩のナンセンスさであろう。

 また、君主としての「王」は、基本的に(共同統治者などが設けられない限り)1人である。
 ところが、本書が「武家の王」とするのは「足利将軍」ではなく、「足利氏」である。本書は足利氏が武家の最高の地位を占める一族として他の氏族とは別格という認識が存在して「足利的秩序」を形成していたこと、将軍や関東公方を筆頭とする足利一門と非・足利一門の間には明確な差が認識されていたことについて論じている。「武家の王」という表現を取ると、どうしても「足利氏の征夷大将軍」1人をイメージさせてしまい、せっかく本書が論じた内容から外れてしまうのではなかろうか。その意味でも、この言葉選びが適切であるとは言い難い。(無理やり辻褄を合わせようとして、「武家の王家」「武家の王室」などという表現を使えば、さらに混乱を招く。「王家」「王室」も天皇の一家・一族を指す、中世の史料用語だからだ)

おわりに
 やはり、「武家の王」という言葉選びは不適切であると言わねばならない。「武家の頂点」「武家の最高貴種」という表現で事足りているものを、なぜ、わざわざ混乱を招く「武家の王」という表現を選んだのか、正直理解に苦しむ。こと一字一句を軽んじることなく史料を読み、それによって成果を重ねてきたはずの優れた歴史学者がそれをしているのであるからなおさらである。本稿は用語法に文句をつけることを目的としており、内容の是非については問うてはいないが、本書が気鋭なる最新研究を一般読者に分かりやすく届けることに成功した意欲作であることは間違いない。それゆえに却って、「武家の王」なる用語法を取って無用の混乱を招いていることが悔やまれるのである。本書が「武家の王」という表現を使って得をしたことと言えば、私のような末学をして、悪口、ではなく批判記事を書くために本書を通読せしめたことくらいではなかろうか。

【蛇足1 タイトル案】

 本稿を読んだ人の中には、「じゃあお前はどんなタイトルだったら納得するんだ」と思われた方もいるかもしれない。『<武家の頂点>足利氏』『<武家の最高貴種>足利氏』では、タイトルとして今一つしっくりこないではないか、と言う向きもあろう。

 以下、戯れ半分で言うのだが、もし私が著者ならば、『足利的秩序の成熟と崩壊』というタイトルにしたであろう(副題までは考えていないが、足利氏の尊貴性に関する叙述だとわかるようなものにすると思う)。これは国際政治学者・高坂正堯の名著『古典外交の成熟と崩壊』のパロディである。『<武家の王>足利氏』は最初の方で、高坂の名著『国際政治』(一般に「高坂の名著」といえばこちらである)の有名な一節「各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である」を引用し(11頁)、それも踏まえて、足利氏を「武家の最高貴種」とする認識を将軍と大名が共有する「共通価値」としていたという論を全体として展開している。「足利的秩序」とは、「足利氏を頂点とする秩序意識・序列認識のこと」(28頁)である。本書の副題は「戦国大名と足利的秩序」であるが、戦国時代に至るまでに「足利的秩序」がいかに形成されてきたかにも多くの紙幅が割かれている。最終的に足利氏の「上からの改革」、即ち下剋上を追認する「血統軽視策」が「足利的秩序」の意識を相対化させて墓穴を掘るところも描いているため、本書の内容は、まさに「足利的秩序の成熟と崩壊」であろう。タイトルとしても御洒落である(主観)し、内容的との合致に於いても「武家の王」よりは適切であると個人的に思う。尤も、それで「売れるか売れないか」は判断できない。ここの「蛇足1」は部外者の雑談として聞き流していただきたい。



【蛇足2 「武家の王」を無理やり肯定する解釈】
”本書での「王」は、君主号でもなければ、通俗的な意味でもない。
「王者と覇者」「尊王斥覇」という言葉に於ける意味の「王」である。
戦国時代に下剋上でのし上がった大名などの「覇者」は、あくまで周王を尊重した「春秋の五覇」のように、「王者」たる足利氏を「共通の価値」として尊重したのだ!”
……言うまでもなく、ナンセンスで成り立たない解釈である。