22.05.03 津和野城[山陰の小京都を睥睨する城]その4 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

津和野城 レポ第4弾となります。

 

 

その3のレポ

 

 
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見所となる遺構 (土塁など)はブルー、名前のある場所 (本丸など)はパープル
現存建築物 (移築建築物含む)はピンク、再現建築物 (模擬建築物含む)はオレンジ
跡地 (櫓跡など)はグリーン、その他 (銅像など)はブラックで表記します。

 

 

 縄張図

 

 

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織部丸の曲輪内に戻ってきました。

と言っても、周囲を廻っていたので、直ぐに戻れる訳ですが…。

紹介済ですが、二重櫓 跡です。

そしてこれまた既に書いていますが、この曲輪は高低差があるんですよね。

だから、 南にだけ 櫓台 の石垣が見えるんです。

 

 ただこれだけ見ると、何の画か判らんですねアセアセ

 

 

 

虎口付近に土塀の 控柱 が再現されていました。

古図にも、こちらも記述済みですが、塀が周囲を巡っていたと描かれてます。

 

 ちょいちょい城跡でこういうの見ますよね。

 

 

 めっちゃ歪んで撮られた説明

 

 

 

虎口までやってきました。

ここからだと枡形虎口というのは判りませんが、非常に情報量が多い

場所ではあります。

まずは、中心を走る、排水溝

そして、虎口の両脇にある、礎石

さらに両脇は、野面積の石垣 が固めています。

 

 これで枡形虎口の形状が判れば、情報量過多の画になってしまいます。

 

 

 

どうにか、内側から 枡形虎口 を狙っていたのですが、かなり難易度が

高かったです。

しかも 坂虎口 になっているので、余計に厳しかったアセアセ

 

 上の画より、枡形スペースと登ってくる場所も判ります。

 

 

 

主郭を方面を眺めます。

木々に覆われて、何にも見れませんがガーン

 

 もう少し、織部丸探訪を続けます。

 

 

 

もう一度、足元を見てみます。

排水溝が曲輪外へ向けて続いています。

どちらかと言えば、排水溝などは、発掘されても埋め戻しされる事が

多い印象なのですが、ここではそれを修復されていますが、地上で見える形を

取っています。

この曲輪にやってくる人は少なく、さらに排水溝を見ている方はさらに

少ないかもしれませんが、排水というシステムが昔も重要だった事を知る上で

非常に有意義なモノだと感じます。

 

 今も昔も、排水のシステムは基本変わっていません。

 

 

 

虎口の外に出てみました。

悪戦苦闘しながら、枡形虎口と判るアングルを探しましたが、これが精一杯。

しかし、この画だと判りますが、枡形スペースが、登り口に対して横矢を

掛けているんです。

この場所には塀に様なモノもなかった様ですが、もし戦時になれば

その様なモノを造作もなく造れたハズですから、効果はあった事でしょう。

 

 正面の織部丸側からも狙われます。

 

 

 

枡形虎口の形状を撮る事を諦めて、少し戻って、虎口の正面に。

この曲輪の修復される前の姿は知らないのですが、ここまでにするのは

かなりの時間にお金、さらには見識が必要だったでしょうね。

 

 真新しい感じは好きではないですが、再現させた熱意には脱帽です。

 

 

 

上とほぼ同じ画ですが… 野面積の石垣 を再現するのは、かなり難易度が

高ったのではと推測します。

 

 少しだけ大きく撮っています。

 

 

 

ここで忘れていた事があって…。

恒例の(何時の間に)隅部を狙う時間を失念していたので、織部丸の南西隅を

見てみると、算木積にはなっていません。

浮田織部が構築した曲輪なら、関ヶ原以降に築かれたハズなのですが

算木積ではないという事は、それ以前から、この石垣は組まれていたのか。

という事は、毛利氏の配下となった、吉見氏によって築かれたのでしょうか。

 

 そこまでの高さがある訳ではないので、一概に言えませんが。

 

 

 

吉見氏時代の遺構で、確実なのは、織部丸の北の尾根を断ち切っている

堀切 です。

ここで初めて、江戸期以前と確信できる遺構が登場しました。

 

 陽の加減で見え難いですが、なかなかの深さを誇っています。

 

 

 

尚、この先(北)にも城域は続いているのですが、恐ろしい程の時間が

費やされそうなので、ここで引き返し、主郭方面へと向かいます。

と、その前に、頭の上に織部丸の石垣が見えるので、チョコっとだけ

見てみます。

 

 

 

 武骨な野面積、イイですねグッ

 

 

 

南へ歩を進めると、主郭側の 高石垣 が見えてきました。

間伐されているし、さらには、その奥は丸裸にされているし、非常に

見易いのですが、逆に保水力とかなくならんのだろうかと心配な面も

ありますね。

この程度なら、問題はないのかもしれませんが…。

 

 専門家じゃないので、判りませんが。

 

 

 

足元にシャガの花を見つけました。

以前は城に行って、花々を撮ってはブログに載せて、名前を教わったものです。

このシャガの花もそれで教えて頂いた花です。

あの頃は、城に行っても、遺構ばかり楽しんでいた感が強く、今の様に縄張りを

考えながら歩く事も殆ど、皆無だったでしょう。

従って写真も、パーツさえ撮れればという感じでした。

だから、花々を愛でる余裕もあったんでしょうね。

でも、その花の名が判らん事が多かったので、色々と教わりました。

そんな方々も、ブログを離れた方が多くなりました。

皆さん、元気なのでしょうか。

 

 少々湿っぽいお話しになりました。

 

 

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ちなみに私は、まだブログを書いていくつもりです。

という事でその4はここらでお開きにします。