町中に3台の太鼓台が出て行きました。
途中、同級生のお母さんとお会いしたのでお話しをさせて頂きました。
少子化、ひいては高齢化で、太鼓を舁く人間、そしてギャラリーも減ったという話しを。
目をそむけたくなる事実なんですが、どうしようもないんでしょうかねぇ~。
そんなお母さんの息子である同級生は今や、関東で家庭を持っています。
昨年、御神輿を担ぐので久々に顔を合わせました。
神輿を担いだ後、太鼓台を見ると血が騒いだのか、舁き比べに出ていました。
この秋祭りが上分の活気をもう一度取り戻す、起爆剤になればいいんですけどね。
さて、お話しを終えて、太鼓台に向かっていきます。
ただ、今年はルートが少々変わってました。
基本的に祭りの日にしか関わっていないので、その点は申し訳ないんですが、できれば太鼓台運営の
方以外にもルートや予定通過時間が判ればなと思った瞬間でした。
毎年見る顔が多く見受けられます。
上分に、数年前にバイパスが通りました。
と言っても、本線の国道とは直接繋がらず、上分が今のところ終着点のような形になってます。
民家が建ち並んでおり、延伸は夢のまた夢かもしれません。
そんなバイパスの交差点に向かう、下之町太鼓台 と上之町太鼓台 です。
それでも多くの人がいますね。
これが今回の祭りの写真でも5本の指に入るベストショットだと自負していますが…。
電線に電柱、滅茶苦茶多いなぁ~
このまま直進して高木の交差点で折り返ししました。
南向きは逆光になるきん、撮り難い
バイパスができたお蔭で、歩道橋というができました。
祭りの日にはこの歩道橋が、大切な撮影スポットに変身します。
そんな歩道橋から何枚か撮ってみました。
まずは、上の写真ではチラ見している金澤太鼓台 と下之町太鼓台を。
上之町が来るまで、暫しマッタリな時間です。
そんな上之町もマッタリな状況でやってきました。
後ろの掻き棒に殆ど人おらず
ここで3台の太鼓台の掛け布団 を見比べてみます。
まずは上之町から。
こちらは龍と鷹の組み合わせ。
この掛け布団は相当、分厚いです。
それにしても、子供がエライ形で掛け布団に触ってるなぁ~。
僕らがガキの頃なら、お偉いさんにエライ剣幕で怒られていただろなぁ~
新調してどのくらい経ったんだろう
お次は下之町です。
こちらは初日にも撮ってますが、上之町と同じで、龍と鷹です。
デザインは勿論違いますけどね。
金澤は、龍と虎です。
ただ、前側は龍と龍だったような気がします。
僕がガキの頃は掛け布団がない太鼓台でした。
我が家に近くなってきました。
ここで正面から3台を続けざまに撮ってみました。
でも、案外怖いもんですね。
立ち止まって接近する太鼓台を撮るというのは。
42歳が二人写っています。
今年は金澤の同級生はおらず。
バイパスの西側の歩道橋にやってきました。
ここも、勿論、撮影スポットです。
やっぱし電柱やら標識やら写りこむんよなぁ~。
この祭りの自分自身ベストショットだと思っているのがこの写真です。
稲刈り前の田んぼや、轟山や法皇山脈と、上分ならではの景色。
上の2台が通る時に考えとけばと思いましたが、金澤だけでもこの写真が撮れて良かったです。
電線が邪魔ですが…。
それにしても金澤は本当に人が少ないですね。
下之町や上之町に比べて世帯数も少ないので仕方ないのですが…。
昔は紡績工場もあったという金沢地区。
当時は裕福な町だったから太鼓台も持てたのではと、僕は思っています。
地理的にも、上分の中でも金生川
の東にある唯一の地区というのもあるのでしょう。
上の2台に比べて人の少なさが一目瞭然です。
他の地区の祭りというのを四六時中見た事ないんですが、上分の秋祭りは基本ノンビリしています。
この写真はそんな上分の秋祭りを象徴するような絵になりました。
いやぁ~ノンビリですなぁ~。
上之町が狭い道にやってきましたよ。
御旅所まであと少しです。
これもベストショットの一枚です。
下之町も御旅所まであと一歩。
徐々に暑くなってきました。
西川原の御旅所で休憩です。
上之町の『第二部會』の幟。
昔からありますけど、小さい頃はカッコエエなぁ~と思ってました。
昔から使われているのかな
御旅所での休憩が終了すると、御昼休憩をする花園へと向かっていきます。
そこへ向かう道には、かなり狭い場所もあります。
この道は、車が行き違う事がほぼ不可能です。
七重上に42歳。
こちらの42歳(まだ41歳かも)はお疲れ気味
金澤カラーのアフロヘアが目立つ
最後の難関がありますが、もう少しで昼休憩場ですよ。
元気な声はあまり聞こえない場所でもあります。
休憩場に到着しました。
昔は2時間遅れなんて当たり前だったんですが、最近は遅れても30分程度。
今年もほぼジャストに食事にありつけました。
仕出しですが、毎年毎年有難い事です。