私は日ごろから、この連載のためのネタ帳をスマホのメモで作成している。ネタ帳と言っても、日々あった出来事を一言で書き留めておくだけだが私は人よりも昔あった出来事を覚えているほうなので一言だけ書き留めておけば十分だったりする。今回のテーマも以前から考えていたことだ。

 

 

 この文章を読んでいる人に限らず、現代人はテレビやネットなどで様々な商品の広告を見るが、そんな広告について考えるきっかけになったエピソードを今回は書く。

 

 

 以前、ニンテンドーSwitchのソフトのCM集をニコニコ動画で見ていた時のことだ。ゲームのCMはニコニコユーザの中でも人気で、この時も、いつも通りCMのプレイ映像に対して「面白そう」といった期待を寄せるコメントが多く流れていた。そんな中あるCMで、3, 4人の子供たちがリビングで楽しそうに新発売のソフトをプレイしてる映像が流れた。ワイワイガヤガヤリビングでゲームをプレイする子供たちの姿に、自分にもそんなときがあったなーとか、楽しそうだなーなどと思っていると、CM動画の上に「友達はついてきますか?」というコメントが流れてきた。「自分は友達がいないので複数人ゲームをプレイできないw」という自虐を込めたボケで、面白かったが、私はふと本質的なことに気が付いた。

 

 

 CMというのは「この商品を買えばこんな未来が待っています」というメッセージを消費者に訴えることで購入をすすめるものだが、もちろんゲームを買うだけでは友達はできない。つまり、あのCMの好印象の中には、ゲームの魅力だけではなく、集まってゲームをするくらい仲のいい友達がいることも当然含まれている。そのため、ゲームが持つ魅力以上のものをCMは宣伝しているのだ。

 

 

 「友達はついてきますか?」という一つのコメントにより私はその事実に目を向けることになり、私はゲームがしたいのではなくゲームを集まってやるくらい仲のいい友達が欲しいという自信の願いに気が付いた。

 

 

 私は小学生のころ、放課後も土日も毎日友達と放課後に集まってはゲームをしたり公園で遊んだりしていた。しかし、高校・大学・大学院・就職と、人生のステップを進むにつれて私は友達とあまり遊ばなくなってしまった。そして、仮に遊ぶとしてもたいていは飲み会で、私は小学生の時のように何も考えずに集まってゲームをする友達を求めるようになっていた。

 

 

 この問題は、当然ゲームを買うだけでは解決できない。私は大学、就職と居住地を変えるたびに友達を失ってきた。東京で、しかも就職した後で友達を作れる気が全然しないのでこんな感じで文章を書いて人に読んでもらうことで楽しみを得ているがマジで友達がいるところに引っ越したい気持である。

 

 

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 さて、昨日東京都知事選の開票が行われ、小池都知事が再当選を果たした。予想通りの結果となり、私が応援していた石丸伸二さんは当選しなかった。そのこと自体は選挙という仕組みに基づいた結果のため特に問題はない。

 

 

 しかし、私が問題視していた自体が今回の選挙でも相変わらず起こった。まずは、政策や実績以外を争点にした盛り上がり。小池都知事の学歴の問題はメディアでは小池都知事の政策と同じくらい取り上げられていたし、さらにネット上では石丸伸二さんや蓮舫さんの政策以外の部分だけで批判する意見が多く散見された。まともに情報を伝えていたのは政見放送をやっていたNHKを選挙管理委員会からの新聞くらいである。

 

 

 加えて、自分が支持していない候補者を支持する人に対する攻撃だ。石丸伸二氏には若年層からの指示が集まったらしいが、ネット上の批判は「あの性格の人は・・・」などの声ばかりで、肝心の政策に関する批判が何も述べられていなかった。さらに「若年層はパワハラを望んでいる」みたいな訳の分からない支持層批判もあり、目も当てられなかった。少なくとも私は政策を見比べて誰を支持するか決めたし、訳の分からない批判をする彼らほど若年層は馬鹿ではない。

 

 

 しかしながら、いいニュースもあった。NHKによると、今回の都知事選は投票率が平成以降2番目に高かったらしい。素晴らしいことである。みんなが私と同じように選挙に行かないとやばいという危機感を持ってくれたおかげか、「今日は選挙なので投票しよう」という町の音声放送が通じたのか、はたまた、候補者が乱立して選挙が盛り上がったかは分からないがよかったのではないだろうか。

 

 

 余談だが、少なくとも私は訳の分からない候補者が乱立することに対して否定的な見方はしていない。彼らは立候補のハードルを下げる役割をしていると思うし、彼らがいるからこそ民主主義が盛り上がっていいと私は考えている。

 

 

 今後も選挙があるたびに感想を書いていきたい。今回の選挙も楽しかった。

 

 

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 さて、東京都知事選が明日に控えているということで、私の投票ルーティンについてでも書こうと思う。もし、「選挙に行ってもだれに投票したらいいかわからない」など思ってる人がいたらこれを読んで「あ、このぐらいの気持ちでいいんだ」と思ってもらえたらいいと思う。何より、私は選挙というのは参加すること・投票することに意味があると考えているので、投票しないよりは適当に投票したほうが良いと思う。

 

 

 ここからは私の選挙ルーティーンだ。東京都知事選はたくさんの候補者が乱立するため、ある程度自分が気になった候補者を選んでその人の政策について深堀する形をとっている。今回私は石丸伸二さん・小池百合子さん・安野貴博さんに興味があったのでこの三人について調べていく。調べるにあたり、候補者本人が提供する情報を見ることが最も重要になる。例えば、選挙の時期になるとスキャンダル狙いのネガキャンなどで最も重要な政策を見ずにその時の印象で投票をしてしまう人も多いと思う。これこそが、私が政策について詳しく解説する有意義なメディアを作ろうと考える根本原因の一つである。そういった事態に陥らないため、本人が自分の言葉で語る政策の内容は必ず見る必要がある。

 

 

 まずは石丸伸二さん。地方のことをしっかり考えているというニュースを見たので私は彼に興味を持った。大学と会社を通じて経済を学んでおり、さらに安芸高田市長として行政に携わっていた経験もある。さらに地方出身。ホームページに行ってみると政策の概要が文字で簡単に記載されており、一時間近くのインタビュー動画があった。休日の一時間を選挙の一人の候補者のためにまるまる使うわけにはいかないので、早回しで再生。内容ごとに動画の章が分かれているため、興味のある内容だけ聞けてわかりやすかった。多摩格差と給食費無償化の話は明石市の泉市長の政策がいいと思っている私にとっては魅力的に見えた。さらに47都道府県との協調・協働の章は日本全体の向上を図っており私の思想と完全に一致していた。東京に人が入ってくるから反映しているだけで結局地方が力尽きれば東京も終わる。そのことをしっかり主張してくれていてうれしかった。

 

 

 次に、小池都知事。現職の知事のため、実績中心に評価する必要がある。ホームページの実績のページにわかりやすくまとまっていて見やすい。特に注目すべき点は待機児童が2016年に8466人いたのが286人になった点、高校の授業料無償化だろう。待機児童が減ったのは成果としてかなりプラスだと思う。高校無償化については私はほかのベッドタウンの都道府県と協調すればよかったと考える派だ。マイナス点なので当然言及されていないことだが、東京の2023年の出生率は0.99しかないことも見逃せないと思う。コロナが理由とも考えられるが、ここから一極集中の解決なしに劇的に伸ばせるとは思えない。

 

 

 最後に、安野貴博さんだ。私は情報系の仕事を生業としているため、情報AIエンジニアである彼には興味を持った。東大の有名研究室出身のエンジニア。東京出身らしい。noteに政策のスライドがあったので軽く流し見る。前提として、「東京が世界的な都市であることが日本の存在感を世界に示すことにつながる」と考えているようだ。東京ってこういう考えの人多いんだよな~~。私なんかは地方出身のため、地方で育った人が東京に来て発展しているんだからまず地方ありきだろと思っている。そして彼は5つの柱として、以下を上げていた。

  1. 新産業で所得倍増 

  2. とことん安心の医療・防災 

  3. 世界一の子育て・教育環境 

  4. 行政をもっと簡単、透明に 

  5. 高速な民意反映

 特に興味のある1番と3番を見る。1番では東京に技術的な企業を集めることが重要と書いていた。あるっちゃあるけど私は熊本にTSMCを呼んだように地方に企業を読んで雇用を作るべきだとは思う。東京都知事選でのアピールにはなりにくいかもしれないが。そして3番。経済支援が中心となっているが、私は家賃も高く、土地も狭く合計特殊出生率が0.99で全国最下位の東京を経済支援することはコスパが悪いと考える。

 

 

 上記の三者の政策を総合的に判断すると、私が投票するべき先は石丸伸二さんということになる。選挙いきますかー!

 

 

 とまあ、こんな感じで私の選挙ルーティンを紹介したわけだが、これを読んだ人に石丸さんに投票しろと言っているわけではない。「候補者自身が直接提供する情報に触れて投票する人を考えてほしい」ということが今回の重要なテーマである。ニュース番組や新聞では、現職の知事と有力候補しか取り上げないため、いいことを言っている候補者の情報は受け身の姿勢だとなかなか入ってこない。そのため自分から動いて積極的に情報を集める必要がある。今回は情報を調べて投票者を決めるまで1時間くらいしかかからなかった。投票込みでも多分2時間しかかからない。皆さんもぜひ直接情報を調べて選挙に行こう!当日の思い付きでも間に合うよ!

 

 

 余談であるが、私が作っているメディアは既存のメディアとは異なり、有力候補者以外の候補者の政策も詳しく解説する予定だ。NHKの政見放送なんかは、やばめの候補者の演説もしっかり放送するがそのぐらいのジャーナリズム精神をもってやっていきたい。

 

 

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 久しぶりの技術系の投稿である。最近は資格の勉強を頑張っているので、資格関係の記事も共有出来たらと思います。

 

 

 まず、合格に対する知人の反応ですが、あんまりこもっていない「あー、おめでとう」といったリアクションでめちゃくちゃドライだった。私は3月から休日返上で死ぬ気で勉強し、東京のなれない生活でメンタルを壊しながら、これまた日曜日に受験した結果の合格だというのに寂しいじゃないの。

 

 

 一方ツイッター上では応用情報がトレンド入りするなど盛り上がっており、知らない人の合格ツイートには数百のいいねがついていていた。私の投稿にも大学の同級生がいいねをしてくれた。現実よりもツイッターコミュニティのほうが温かいようだ。めずらしい。

 

 

 ここからは得点と勉強方法について書く。まずは得点。

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 午前の得点がちょっとだけ高く、午後がぎりぎりだ。いちおう補足しておくと、私は去年の秋に基本情報技術者を取得していたため、同じ形式の午前は過去問初回から60点を超えていた。そのため、基本情報取得者は午前はそれほど対策しなくてよいだろう。基本情報の対策にはキタミ式(リンク先は令和6年用)を用いた。キタミ式は基本情報編も応用情報編も中身がほぼ同じだったため、応用情報編だけを買って基本情報受験前に2周した。

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 さて、今回の応用情報午前の分野別得点率は上記の通り。ストラテジ系とマネジメント系が高いが、これらは暗記メインなので応用情報合格教本を暗記すれば解けるはずだ。(リンクの年度は令和六年春のもの)そして、テクノロジ系だ。情報学科を卒業しているので、計算問題などは問題ないが、知らない最新の単語を聞いてくる問題に苦戦し、伸び悩んだ。テクノロジ系はベースの知識がしっかりしているので合格点が取れることを確信していたから勉強していなかったのもあるが。

 

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 続いて午後試験である。午後の選択問題は、上記の5つ。私はこれ以外にデータベースを呼び分野として勉強して試験に挑んだ。

 

 

 前提として、午後試験は必須である情報セキュリティ以外の分野の問題の難易度の差が激しい。例えば、私は試験前日にデータベースの過去問で9割とり、合格を確信したが、本番では2割ぐらいしか解けずに撤退した。また、今回は組込みシステムも難しく私はこれで2, 3問くらいしか解けずに不合格が頭をよぎった。そして、これは過去問からの経験則であるが、ある分野の難易度が高いとき、たいていは別のどこかの分野が異常に簡単なのだ。つまり、応用情報午後は出題された問題たちから当たりを選んで答える試験でもある。このような難易度差に対応するために予備の分野を勉強することを強くお勧めするが、勉強時間との兼ね合いもあるので6か7分野程度がちょうどいいと思う。

 

 

 さて、一つずつ解説。セキュリティはほぼ暗記なので教本の攻撃名とかを暗記しましょう。今回もそのおかげで2要素認証が答えられました。

 

 

 そして、プログラミングですが、知っているアルゴリズムが出たときだけ答えて、知らないアルゴリズムが出題されたら解くのはやめましょう。私はAtCoder緑で、いちおうアルゴリズムの知識はありますが、知らないアルゴリズムを30分で理解することなんてできません。今回はかなりメジャーなアルゴリズムである「ダイクストラ法」が出題されたので9割取れました。(代入を←じゃなくて=で書いたのが痛い)

 

 

 次に組み込みシステム開発。ほぼ読解問題。初見で9割取れる問題もあれば、2割くらいの問題もあります。ほぼ運ゲー。今回ははずれを引き2割でした。

 

 

 文系の人向けにPMとか組込みシステム開発をお勧めする記事がありますが、勉強した結果が反映されずらく、解いていても難易度が読みずらいので時間がある理系は素直に理系科目をお勧めします。逆に理系科目だと、知っている問題が出れば9割取れますし、逆に難しいときも解いている最中に不穏な空気に気づき撤退できます。(今回もプログラミングで無双してデータベースを撤退できて合格につながりました)

 

 

 次にプロジェクトマネジメント。私の場合、実務で聞いたことある言葉がかなり出題されるので勉強の価値はあるかも。ただ、読解問題が運ゲーになりやすい。今回は中当たりで6, 7割くらい。

 

 

 サービスマネジメント。読解問題だが、今のところそんなに実務で使う知識もない。勉強して特派しなかったが7割くらいとれた。

 

 

 最後に参考書紹介。まずはキタミ式。わかりやすいが、午後対策としては不足する印象。一冊目にはいいので、ほかの参考書が読めなかった人はまずはこれを読むといいかも。

 

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 次に教本。なんか画像がちっちゃいが、大きいものが見当たらなかった。とりあえず午前の問題は全部といて、午後の問題は解くと決めた分野だけ解けばいいと思う。単語の網羅率も高く、暗記にはこれ一冊で足りる。今回の試験で出た「ゼロトラスト」など、たまーに載っていない言葉があるが、致命傷にはなりえないと思う。余談だが、大学の後輩が「キタミ式だけじゃ知識足りないと思うので、教本やったらどうですか?」と言ってくれたおかげで私はこの本にたどり着き、午後を一点差で合格できたので、彼のおかげで合格できた部分もかなりある。

 

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 そして、応用情報技術者ドットコム。過去問と回答・解説が無料で公開されている神サイトだ。これが無料だなんて管理人は素晴らしい。何回分対策するかは常に話題になりますが、私は10回分やりました。プログラミングは知っているものを解き、知らないものは解かないと決めていたので3回分くらいしかやりませんでしたが、ほかは10回分きっちりやりました。余談ですが、私に教本をお勧めしてくれた後輩は午後の過去問を3回分しかやらずに、午前で8割以上得点したにもかかわらず午後試験に1, 2点差で落ちてしまったので、過去問演習はしっかりやろう。(ただ彼は京大だけあって賢いので次やったら普通に受かると思う。)

 

 

 久しぶりに技術系の記事を書いたがいかがだっただろうか。ここ数か月記事を読んだ人はもしかしたらびっくりしたかもしれないがせっかく努力して資格を取ったのだから、今後の人の後押しになれたらうれしい。

 

 

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 最近更新が滞っていたため、今日は特別に2本目を書くことにしよう。これを見たあなたは喜んでくれるだろうか。

 

 

 大学時代、私は時間的に自由だったためよく夜中に散歩をした。私は当時元田中に住んでいたため、すぐ近くを流れる鴨川は定番の散歩ルートだった。そして、賀茂川と高野川が合流し、鴨川になるエリアは鴨川デルタと呼ばれており、アニメのオープニングの舞台になったほどのきれいなスポットで常に家族連れや地元の高校生でにぎわっている。

 

 

 そんな鴨川デルタだが、花火シーズンの夏を除き、夜になると全く人がいなくなる。夏は毎日のように大学生が花火をしているが、春のシーズンは全くの無人。そんな真夜中の静寂の中、私は鴨川デルタの先端で祇園四条を超えて大阪に向かって流れていく清流を見ながら何時間も考え事をするのが日課だった。私はそんな何気ない時間が貴重であることを大学時代から理解していたため鴨川で散歩をしたり夜に考え事をしたりする時間を何よりも大事にしていた。

 

 

 都市という場所は基本的に利潤追求に特化しており、何をするにもお金がかかる。例えば、金沢市をはじめとする石川県は図書館が充実しており、つい最近新しい大きな図書館ができたのも含め、無料で時間を使う場所に困らない。私は高校時代、玉川図書館でよく勉強をしており、この環境が当然だと思っていたが、京都や東京には勉強が許可されており、いつも必ず席が確保できる図書館はめったにない。

 

 

 しかしながら、京都には鴨川という憩いの場が特別に手をかけて整備されており、十分リラックスできるスペースがある。

 東京ではそういった場所はない。図書館に行けば勉強がそもそも禁止されていたり、また、そうでなくとも敷地面積が小さいのに人が多いため席を確保できない。そして、町を歩いていてちょっと座って休憩しようと思えば、喫茶店に入って消費をするしかないのだ。

 

 

 また、家賃も高い。今日同期に聞いた話だが、団地に住むとかなり家賃が安くおすすめらしい。私は、団地が独身に独身のサラリーマンが住めるとは思ってもいなかったため、彼の話を詳しく聞いた。どうやら、入居者募集が少ない場合は入居条件が緩和されるらしく、家賃も4万円で2部屋あるというのだから驚きだ。そして片道1時間半で通勤できるというのだから、私よりも賢い選択をしている。彼はハナから利潤の最大化を目的とする不動産屋のことなど相手にしていなかったのだ。

 

 

 東京には金沢や京都のような憩いの場がなく、利潤の最大化に特化しているということを理解しているのなら、ハナから東京に住まなければよかったのだ。私は驚いたが納得はした。鴨川で夜中に考え事をしていたあの時間を取り戻すために私は来年までには東京から引っ越そうと思う。

 

 

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 最近、資格試験の勉強などで忙しくなかなか更新ができていなかった。しかし、今後その知識を使うことはどうやら無いようだ。

 

 

 最近私はコンピューターの開発環境の構築といういうなれば雑用をやっている。最先端技術をやりに来たのにと思いつつも、まあこれが終われば技術のほうを触れるかと我慢してきたが、今日話を聞くと、次やる仕事も私が大学で学んだ知識を使うことはないようだ。

 

 

 私はそこで、「この会社を辞める」と決意した。次の仕事が終わるころには入社して2年目になるだろう。私は専門的知識を業務で使うことなくおそらく2年目も終わる。そして、気づけば私は専門知識がなく、転職もできず、一生同じ会社で安月給で飼われるのが目に見えていた。

 

 

 管理職は以前私に「その程度の実力で」などと言ってきたくせに私よりも、私の専門分野の知識とTOEICの点数で大きく劣る奴含め、エンジニアの開発能力よりも管理能力のほうが業務として上だと考えている。私にはそれが分からない。マネジメントは人に業務の指示を出す仕事だが、指示を出しているから給料が高いという構図が謎だ。例えば、マネジメント側は専門的知識が劣っているため自分で製品を開発して販売する能力が一切無いわけで、だからこそ労働者として働いているわけだ。

 

 

 むしろビジネスの起動力は現場側にある。それを分からせるためにはやはり自分でビジネスを始めるしかない。私が以前から主張している、メディアを作りたいや、個人事業主になりたいといった発言は、すべて、新卒入社した会社で早急に社会勉強を終え労働者側から脱却することが狙いだ。そのために情報学を学んできた。

 

 

 会社に入ってみて思うのが、理系の専門職は頑張って受験を突破し、大学で忙しく学び、社会でも頑張って働いているのにたった十数万円の金しかもらえず、経営者はその専門知識で何億、何兆の金を稼ぐのはやはり腹が立つ。

 

 

 入社してからいろいろ会社を辞めるすべを書いてきたが、今考えている手法は大きく3つだ。この連載を大きくしてメディアを作ること。Youtubeを始めること。そして、シンプルにビジネスを始めることである。

 

 

 一つ目はご存じの通り既に実行中である。もっとも、この連載は媒体が小さいせいか思ったよりも伸びてないので、数千数万のフォロワーを獲得してメディアを作るのはいつになることやら。

 

 

 二つ目はまだ内緒である。時が来ればこのnoteと結びつけようと思う。

 

 

 そして三つ目だ。最近知ったのだが、自治体というものはどうやら、企業を応援する制度を運営しているところがあるらしい。例えば私の地元の自治体や今住んでいる地域の自治体では、起業する人に向けて支援金の制度があったり、自治体の事務所をテナントとして安く借りられる仕組みがあるみたいだった。この制度を利用して、私は学生時代にやっていた家庭教師の続きや、専門知識を生かしたプログラミング教室でもやってみようかと思う。まだ借りられるかどうかすら分からないが、やるなら土曜日かな~とか夢を膨らませている。会社の中では夢を見られないことは確実なので私は専門知識もなく転職できないしがない中年になる前に、20代のうちにさっさと自分の足で立って世の中を渡り歩いて生きたい。

 

 

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 皆さん、なんと今回は"77"回目の連載である。ラッキーセブン。これを見たあなたにはいいことが訪れます。訪れなかったあなたは日常の小さな幸せを探しましょう。私も探します。

 

 

 これからする話は私がまだ大学一回せいだったころ、留年して病んでいた先輩と話した人生観である。大学生活の些細な一ページだが、私にとってはその後の人生でもたびたび考えるきっかけになる重要な出来事だ。このような、昔のちょっとした悩みを私と彼だけではなく、こうして読者の皆さんに共有できることを私はうれしく思う。

 

 

 大学生は自分を見つめる時間が有り余っているため、一度は人生とは何なのか、どう生きるべきなのかを考える。我々も例外ではなく二人しかいない夏の夜の部室で人生について語り合った。大学生になると、反出生主義とかいう謎の思想に講義で学ぶ機会があるらしく。ちょうどそのころ同じサークルの誰かが「別に頼んで生まれてきたわけじゃない」というセリフを口にしりしていた。

 

 

 そんな言葉も踏まえて、我々は「じゃあ、どうやって生きるべきなのか?」をテーマに話し合った。生まれてきたのは自分で選んだわけじゃない。なら死ぬのも勝手。そのことを我々は否定することはなかった。以前も書いたが、「生きることは楽しいことだ」という言葉は文字通り生存バイアスに聞こえたからだ。(これについては死者と生存バイアスというエッセイで書きました)しかし、人生を楽しんでいる人がいるのも事実。それら様々なケースを踏まえ、我々は最終的に「人生とは親に連れてこられた家族旅行のようなものだ」という認識で一致した。

 

 

 つまり、我々は両親がおせっせして生まれたわけで、それ自体は自分で選んだことではない。私たちは家族旅行のように親が望んだこの世界に連れてこられた。旅先では、楽しいこともあるだろうが、当然嫌なことがあってすぐにでも帰りたくなることもあるだろう。そこで帰ることを我々は否定しない。(たいていは我々はこの地で大人になり、両親のほうが先に帰ってしまうが。)

 

 

 しかし我々は、せっかくこの世界に生まれたのだから、この世界の楽しさのポテンシャルは探したほうがいいという意見で一致した。まさに、我々が旅行先でもその土地の魅力を積極的に調べるのと同じことだ。帰るのは構わないが、せっかく来たのなら、その土地のポテンシャルをしっかり理解した上ではないと正しい判断はできない。

 

 

 こうして我々は最後にはポジティブな結論に到達したわけだが、結局その先輩は大学からいなくなってしまった。彼の中で京大は魅力的な場所ではなかったのだろう。しかし、私は彼の決断を否定しない。なぜなら私は、彼は京大の魅力を理解したうえでここを去るという決断をしたと考えるからだ。

 

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 私のように学生時代に勉強ができた人間は、時々、今選んだ進路は誰が決めたものなのかを考えるときがある。一番わかりやすい例でいえば医学部だ。親や家族が医学部に行けというから医学部に進学し、結局やめてしまった人が京大の後輩にいた。

 

 

 私も時々、今選んだ道は誰が決めたのかを考えるときがある。京大に進学したことは確かに自分で選んだ道だったし、学科も自分で決めた。しかし、サラリーマンになるのは明らかに消極的な判断だった。親は博士課程までは支援しないと言っていたし、私は博士課程に進学して無事でいられないかもしれないと、積極的になれなかった。

 

 

 つまり、「医学部に行けばよく生きられる」という価値観の押し付けに負けて医学部に行ってしまった彼と同じく私も、「大企業に入ればよく生きられる」という世間一般の価値観に負けてしまったのだ。そのことを私は今、後悔している。ずっとこのままどうでもいい仕事で20代を失うのなら私は積極的に大学院に戻ったほうが良いだろう。まだ20代、今まで頑張って生きてきたから多少の紆余曲折は取り返しがつく。このまま一生サラリーマンでいる気も毛頭ない。何なら、今の会社も2年をめどにやめようと思っている。(給料安いし)

 

 

 これを読んでいる人でもしも人生の選択肢に悩んでいる人がいたら、ぜひ積極的な選択をお勧めしたい。私も積極的になれたものとして30代を迎えられるように準備をしておく。

 

 

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 以前、ボーイズビーポリティカルというエッセイでざっくり以下のようなことを書いた。

 あさま山荘事件などの経験を経て、日本の学生運動は共産主義や暴力的なイメージと切っては切れないものになった。しかし、学生運動は定義上、学生が社会運動を行えば学生運動になるはずで、それらと結びつく必要は必ずしもないのでもっといろんな形があっていいはずだ。

 

 これに関連する出来事が東京大学の学費値上げ問題で起きたらしいのであらましを記述し、それに対する個人的な見解を書く。

 現在、東京大学では学費の値上げが検討されている。リンク先のNHKの記事に詳しく書かれているが、文科省の省令によると、特別な事情がある場合、学費を120%まで値上げできるとされており、その場合は58万5800円から64万2960円になるとのこと。

 たかい、、。自分で稼ぐようになってわかることだが、この額は非常に高い。例えば、私なんかは毎月20万ちょいで生活しているが、家賃と食費を抜いたらもう数万しか残らない。まさに毎月の給与は生きていくためだけに消えていく。誰かが言っていた言葉を借りると、「こんだけ払って得られるのが実存だけ」なんてひどいよね。

 

 

 そして、大の大人である自分が、もし、大学生の子供を養うと仮定すると、私はおそらくボーナスから毎年64万払うことになる。きちぃー。そして、家賃+仕送り10万×12か月の120万を合わせると毎年184万失うことになる。なんだこれ。

 

 

 曲りなりに京大を卒業し、大企業に勤める私がここまで顔をゆがめるほどの負担だということを恵まれた読者の皆さんはご理解いただきたい。こりゃ年収1,000万ないときついわ。ここまで払わないと子供を大卒にできないなら大学全入時代なんてなくなればいいのに。というか普通の高卒でも子供育てて経済的に豊かに暮らせる社会になればいいのに。

 

 

 余談だが、1975年度は3万6000円だったらしい。安すぎでしょ。物価加味しても安い。それだけ安かったら教育費もかからずにさぞ楽しかろう。昔は今より、公立高校も私立高校に対して進学実績で戦えていたから子供を育てる学費は安かったはずだ。いい世の中だよ。見てないけど。

 

 

 さて、ここまで学費が高いと学生たちも文句があるようで、東大では総長と話したり、値上げ反対の集会をしているらしい。その中で、気になるニュースがあった。朝日新聞社会部のツイートで、以下のとおりである。

 この記事の通り、共産主義を代表する歌で、ソ連国家になっていたインターナショナルが反対集会で歌われたそうだ。

 

 

 つまり、学費値上げの運動がまたしても共産主義の学生運動と結びつこうとしているのである。私がなぜこれを懸念するかというと、まず、主張の説得力が落ちてしまう。もともと「学費値上げ反対」を掲げていたはずなのに、「共産主義を流行らせよう」という主張がいつもの通り加わると、はたから見ると、「ああ、彼らは学費値上げ反対と言っているが、本当に思っているわけではなく共産主義活動のダシにするために言っているんだな」という見方がされてしまう。以前ならそれで通ったかもしれないが、あさま山荘事件などを経験した後では、特に政治的にこだわりのない人々や学生からの支持は落ちてしまう。

 

 

 加えて、共産主義を支持していない、例えば資本主義を支持する学生からしてみれば、周りが共産主義の歌を歌っていたらそこに居ずらくなって、学生間でも分断を生み、思想を問わず学費値上げに反対すべきところが、なかなか一枚岩になれない。

 

 

 この現象こそが、私が新しい形の学生運動があればいいと思う理由である。もしも私が学生運動をするなら、「学費値上げ反対以外の思想の主張はするな。学費値上げ反対の一本槍で一枚岩になるのだ」と主張するし、はたから見てもそれが分かるようにやるだろう。まあこんなことを言っていてもしょせん私は学生でもないただの労働者だが。

 

 

 あーだこーだ書いたが、私は若者が政治的であること自体には賛成である。なんなら、自分にも若者の政治関心を高めること、地方創成を実現することを掲げるメディアを作るという夢があるため、今後の動向はぜひ注視していきたい。

 

 

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 突然ですが、最後に爆笑したのはいつですか?

 

 

 ここでいう爆笑は、息ができなくなるくらい笑って腹筋も痛くなりほんとに、笑ったまま死ぬかもと怖くなるくらいの爆笑だ。人生で何度も味わえるものではないし、私も人生で多くても十数回しか味わったことがない。

 

 

 私の最後に爆笑した記憶は確か、中学生になったばかりのこと。東日本大震災のせいで各企業がテレビCMを自粛して、半年ほどACジャパンのCMしか流れない時期があった。その中で何度も繰り返し流されたのが、「こんにちは」とこんにちワン、「ありがとう」とありがとウサギなど、挨拶と掛け合わせて動物が登場し、「みんな挨拶をしよう」というメッセージを呼びかけるCMだ。

 

 

 当初は何も思っていなかったが繰り返し流れると私も世の中の人もうんざりしてきた。その象徴的な出来事として、CMの最後に「AC」と読み上げる音声がクレームでなくなった。

 

 

 そんなくらい雰囲気が流れる2011年の夏。私は一本の動画に出会った。ニコニコ動画で上がっていた動画なのだが、いつも通り「ありがとうありがとウサギ~」と1000回は見たCMがまた始まった、そう思っていたところ、ありがとウサギが画面を飛び出し、巨大ロボットに変身する、という動画だ。今見ると特に何も思わないが、当時はそれが面白く、友人の家のパソコンの前で二人で大爆笑した。ほんとにおなかが痛く、息ができなくなり、死ぬかと思ったほどだ。

 

 

 あの頃はとにかく、生きていた時間が短かったから面白いものは初めて見るものばかりだった。そのため、笑いのリアクションもひときわ大きかった。今も、私は楽しいことが好きでお笑いのバラエティなんかをよく見るのだが、人生経験を積んだことと、放送できる企画として成り立つようにきれいに作られているため、どうしてもニッチさや、くだらなさという面で内輪ノリのほうが楽しい。

 

 

 大人になってからは遊びと言えば飲み会ぐらいのものになってしまったが、私は今でも家に集まってゲームをしたり、くだらない動画を見たりして内輪のくだらない遊びをしていたいと考えている。

今回もご愛読いただきありがとうござます!

 


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