以前、ボーイズビーポリティカルというエッセイでざっくり以下のようなことを書いた。

 あさま山荘事件などの経験を経て、日本の学生運動は共産主義や暴力的なイメージと切っては切れないものになった。しかし、学生運動は定義上、学生が社会運動を行えば学生運動になるはずで、それらと結びつく必要は必ずしもないのでもっといろんな形があっていいはずだ。

 

 これに関連する出来事が東京大学の学費値上げ問題で起きたらしいのであらましを記述し、それに対する個人的な見解を書く。

 現在、東京大学では学費の値上げが検討されている。リンク先のNHKの記事に詳しく書かれているが、文科省の省令によると、特別な事情がある場合、学費を120%まで値上げできるとされており、その場合は58万5800円から64万2960円になるとのこと。

 たかい、、。自分で稼ぐようになってわかることだが、この額は非常に高い。例えば、私なんかは毎月20万ちょいで生活しているが、家賃と食費を抜いたらもう数万しか残らない。まさに毎月の給与は生きていくためだけに消えていく。誰かが言っていた言葉を借りると、「こんだけ払って得られるのが実存だけ」なんてひどいよね。

 

 

 そして、大の大人である自分が、もし、大学生の子供を養うと仮定すると、私はおそらくボーナスから毎年64万払うことになる。きちぃー。そして、家賃+仕送り10万×12か月の120万を合わせると毎年184万失うことになる。なんだこれ。

 

 

 曲りなりに京大を卒業し、大企業に勤める私がここまで顔をゆがめるほどの負担だということを恵まれた読者の皆さんはご理解いただきたい。こりゃ年収1,000万ないときついわ。ここまで払わないと子供を大卒にできないなら大学全入時代なんてなくなればいいのに。というか普通の高卒でも子供育てて経済的に豊かに暮らせる社会になればいいのに。

 

 

 余談だが、1975年度は3万6000円だったらしい。安すぎでしょ。物価加味しても安い。それだけ安かったら教育費もかからずにさぞ楽しかろう。昔は今より、公立高校も私立高校に対して進学実績で戦えていたから子供を育てる学費は安かったはずだ。いい世の中だよ。見てないけど。

 

 

 さて、ここまで学費が高いと学生たちも文句があるようで、東大では総長と話したり、値上げ反対の集会をしているらしい。その中で、気になるニュースがあった。朝日新聞社会部のツイートで、以下のとおりである。

 この記事の通り、共産主義を代表する歌で、ソ連国家になっていたインターナショナルが反対集会で歌われたそうだ。

 

 

 つまり、学費値上げの運動がまたしても共産主義の学生運動と結びつこうとしているのである。私がなぜこれを懸念するかというと、まず、主張の説得力が落ちてしまう。もともと「学費値上げ反対」を掲げていたはずなのに、「共産主義を流行らせよう」という主張がいつもの通り加わると、はたから見ると、「ああ、彼らは学費値上げ反対と言っているが、本当に思っているわけではなく共産主義活動のダシにするために言っているんだな」という見方がされてしまう。以前ならそれで通ったかもしれないが、あさま山荘事件などを経験した後では、特に政治的にこだわりのない人々や学生からの支持は落ちてしまう。

 

 

 加えて、共産主義を支持していない、例えば資本主義を支持する学生からしてみれば、周りが共産主義の歌を歌っていたらそこに居ずらくなって、学生間でも分断を生み、思想を問わず学費値上げに反対すべきところが、なかなか一枚岩になれない。

 

 

 この現象こそが、私が新しい形の学生運動があればいいと思う理由である。もしも私が学生運動をするなら、「学費値上げ反対以外の思想の主張はするな。学費値上げ反対の一本槍で一枚岩になるのだ」と主張するし、はたから見てもそれが分かるようにやるだろう。まあこんなことを言っていてもしょせん私は学生でもないただの労働者だが。

 

 

 あーだこーだ書いたが、私は若者が政治的であること自体には賛成である。なんなら、自分にも若者の政治関心を高めること、地方創成を実現することを掲げるメディアを作るという夢があるため、今後の動向はぜひ注視していきたい。

 

 

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