「ダサい」と「だるい」 | 精神科看護師yasu の猪突猛進ブログ

精神科看護師yasu の猪突猛進ブログ

精神科看護の探求をテーマに、書評や日常感じたこと、不定期で投稿します。
という訳で「精看探求士」というネームでtwitterもつぶやいています。そちらも、どーぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m

「ダサい」と「だるい」
どちらも、人によっては、よく耳にする言葉ではないだろうか?
人によってと付け加えたのは意味がある。
そのような言葉が一切飛び交わない現場も数多く存在すると思うから。

ネガティブなイメージの強い二つの言葉だが、詳しく見てみるとどうだろう?
ダサい=野暮ったい。
だるい=(怠い)病気や疲れなどのために、体に力がなく、動くのもおっくうである。
  (以上、集英社 国語辞典より)
うーむ、「ダサい」という言葉はやはりいいイメージを持つのが難しいか・・
しかし、「だるい」に関しては少し違う印象を持つ。
前提条件が存在するではないか。
「病気や疲れなどのために」という。
人はよくロクに疲れてもいないのに、「だるい」を連呼する(そういう人が一部いるという話)
私はそのような言葉を聞くと、本人だけでなく周りの人間もいい思いはしないだろうと考える。
ネガティブな言葉は連鎖する。

そもそも、「だるい」のは一体どの部位なのか?
前述の辞典では体という感じを受けるが。
日常に聞く「だるい」は、少し違うニュアンスで受け止めている。
そう。
体ではなく、「心」あるいは「脳」だ。
心が疲れている。
うーむ、いったいどれほどのストレスに晒されているのか。
「心労」といった言葉とは、また違うのだろう。
とりあえず、脳が疲れていて今は「だるい」からチョコレートを食べる。
そんなケースは理にかなっているのかもしれない。

さて、何がなんでもポジティブにいきたい私としては、「ダサい」も「だるい」も違うステージに持っていきたい。
だって、一見すると「ダサい」ことを突き詰めて誰よりも上達した人だっていると思う。
先日、某テレビ番組で70年間縄跳びをしているスーパーおじいちゃんが登場していた。
これだって、誰もマネ出来ないくらい上手いからカッコいいのであって、下手な縄跳びはやっぱりダサい。
「だるい」もそうだ。
一日同じように仕事をしてきて、部署内で「だるい」や「しんどい、もう休もうや」という人と愚痴をこぼさず黙々と作業する人がいる。
能率はどっちが良いだろう?
答えは簡単。
まぁ、少し小休憩を入れてリフレッシュして作業に臨むことが有効な場合も多いとは思うが。
それでも、だいたいの目安をもって(休憩の)、他の時間は目の前の仕事に集中する。
そんな姿勢がカッコいいと思う。

本当に「ダサい」のか?
何が「だるい」のか?

思考停止が起こっていないか?
突き詰めれば誰も辿り着けない境地に達するかもしれない。