1630th  万歳三唱フライング | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

今日、衆議院が解散されましたが、恒例の万歳三唱がフライングでなされてしまいました。

議長は渋い顔をしていましたが、この万歳三唱は実は意味不明です。

衆議院の解散は議員にとっては失職でもあるわけです。

まさにあの瞬間に議員ではなくただの人になるのですから、嬉しいわけがありません。

しかし、いつからか知りませんが、慣習で衆議院の解散では万歳三唱するのです。

理由は諸説ありますが、僕は次に話が一番真相に近いのではないかと思っています。


昔、出征の時 “万歳三唱” をして兵士を送り出した。
「これから戦いに出るが、
 無事に勝利を収め、生きて帰って来てくれよ!」
そんな願いを込めて、万歳三唱をしたそうです。
この縁起を担いで、
「これから お互いに選挙戦を戦うが、
 無事に当選を果たし、また国会で再会しよう!」
そんな想いから 解散時にも万歳をするようになったとか。

やけくそだとかいろいろ言われていますが、皆臨戦態勢の顔になっておられるようですので、これから戦うぞという気合入れのような気がします。霊的修行者は他者と戦うということはありません。

勧善懲悪の世界をイメージして霊能力で悪の化身と戦うと思っておられる方もいらっしゃるかも知れませんが、そもそもなにが悪でなにが善なのか分かりませんし、まして霊能力合戦などしません。

神霊やキリストの御力は我々が想像できるようなものではありません。

霊的修行者がその力を己に降ろして何かが出来るようになったとしてもそもそもレベルが違いすぎる相手に頭が良い邪霊が立ち向かってくることなどありません。

また、霊的修行者が未熟であるのにそのような思い上がったことを考えれば、どこか隙が出来た時に、邪霊の総攻撃にあって一発でやられてしまいます。

戦いというのはある程度力が拮抗しているから起きるのであって、その差が歴然であればそもそも戦いなど起きないのです。

本当に邪霊を一掃しようと思えば、幽質界そのものを無くしてしまうしかありませんが、それをしないと邪霊は考えているのでしょう。

神もキリストも知ったことではないということで自由意思を満喫しているわけです。

その意味では地上の人間も同じなのかも知れません。

自由意思の選択により、全てが負の循環にはまってしまって神霊やキリストが関与できなくなれば、永遠に放っておくか、全て消してしまうか、選択肢は二つしかないのでしょう。

今はまだ、ほんの少しだけ可能性が残っていますが、選択肢が二つしかなくなる時が迫っていると思います。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。 


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