人は感謝の気持ちは一瞬で忘れるけれども、恨む気持ちは一生持ち続けるものだと言われます。
確かに僕もそう思います。
一生恨むほどの気持ちを持ったことは今まで経験ありませんが、悔しいとか憎いとかいう気持ちはけっこう長く続くものです。
感謝の気持ちはすぐに忘れてしまいます。
ビジネスであれば、感謝の気持ちはお金と時間を使って表現しないと相手に伝わらないということをいやというほど勉強させられましたので、細かいところまで目が届きますし、必要だと思えばそれを継続することも出来ますが、プライベートとなると煩わしいことが嫌いなので、忘れてしまってそれで終わりになってしまいます。
以前に書いた、2000万円だか3000万円だかの手形が落とせず、万策尽きて期限の日の朝、ホテルで朝食を食べていたところ、全く知らない人から声を掛けられ、即金でそのお金を貸してくれたという経験をお持ちの社長さんは、貸してくれた方を命の恩人としてずっと感謝していました。
その社長さんは、数年後、集められるだけのお金を集めて、夜逃げをしました。
よくある話です。
地上の人間というのはそういう生き物なのでしょう。
もちろん、僕も例外ではありません。
人様に対して感謝していますなどと言えるような行動をとったことがありません。
ありがとうございましたと言うだけです。
そして、しばらくするとその気持ちなどきれいさっぱり忘れてしまいます。
そんな風に考えると、守護霊や指導霊の方々に感謝しているなどと言うのは大変失礼なもの言いのように思えてきます。
霊的トレーニングやトオゥ・ライ・シェイの際に感謝しているなどとそらぞらしく心の中で言っていますが、言うのはタダです。
実際に守護霊や指導霊の方々のサポートに対して、きちんとした形で感謝の意を示しているだろうかと考えると、答えはNOなのです。
守護霊や指導霊の方々が望んでいることは、神霊やキリストの皆様が地上でなさろうとしていることのお手伝い以外にはないでしょう。
それは、神伝の法を後世に残すことです。
そのためにどうすれば良いかを考え、判断し、行動しなければならないと思うのですが、少し油断すると木を見て森を見ずということになってしまいます。
僕が常に一番気をつけていることはそのことなのですが、所詮、肉の身の普通の人間ですので、自分が気がつかないところでいくつも失敗しているだろうし、やるべきことの100分の1もやれていないだろうと思います。
能力がないのでしょうがないのですが、せめて、気がつかない失敗がある、何も出来ていないということの認識だけはきちんと持っていなければならないと思っています。
その最低限のレベルが維持できなくなったら、邪魔になるだけなので、僕は即刻地上からいなくなるべきだと思っています。
それはともかくとして、早くそのギリギリの最低ラインから卒業しなければなりません。
神伝の法さえやっていれば全て解決というわけにはいきませんが、神伝の法をやらせて頂いている以上、もう少しなんとか出来るはずなのです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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