1445th  考えてはいるものの | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

霊的トレーニングをやっている間はあまりあれこれ考えない方が良いと思いながらも考えてしまいます。

日常生活やゲームのことを考えてしまうこともあり、我ながら不真面目な修行者だと思うのですが、一番考えることが多いのは霊的活動についてです。

特に最近は、考えているだけで結局は何も出来ていないという思いが強く、自虐的なことばかり考えてしまうのですが、何もしないよりはましではないかと思ったりもして、またそんな風に考える自分は霊的修行者として生きていくのにふさわしくないのではないかと考えたりもします。

地上の日々の生活においても、それなりに努力したこともあるとは思いますが、何一つものになったと思えるものもなく、霊的修行者としても中途半端で守護霊や指導霊の方々が動いて下さっているとしても、そのご活動に報えるようなものはなにもないと感じています。

霊的活動をするために生まれてきたとは思いますが、幸運なことに霊的修行者として霊的活動をするようになったのですから、何か一つでも成果を出したいと思いますが、人様に私は霊的活動をしていますなどと言えるようなことは一つもありません。

霊的活動をするのは、単に神霊やキリストの皆様のご活動のお役に立てればと思っているだけなのですが、成果があるとは全く感じられないので、そのような気持ちになるのでしょう。

霊的成長もそうですが、成長しているか否かという結果がはっきりと分かるわけではないので、メンタルを維持するのが非常に難しいのだと思います。

平時であれば、それでも淡々と霊的トレーニングや霊的活動を続けていけば良いのかも知れませんが、今は霊的に激動の時代です。

日々のんべんだらりと生きているだけなので、地上にいる意味があるのかと考えてしまいます。

以前は、自分の正体を知りたいとか封印の謎を知りたいと思ったりもしましたが、今はありません。

自分の正体など地上にいるうちに知ることが出来ると思いませんし、封印の謎を知ったところでそれによって自分が何らかの行動を起こし、霊的な良い結果を出せるとは思わないからです。

所詮、地上の肉を着た人間が一人で霊的な何かを出来るはずがないのです。

本当にそれが可能であれば、キリストが最初に地上に降りられた時に全てが解決したはずです。

結局は、神伝の法を実践する人々が一丸となってなすべきことをなすしかないのでしょうが、自由意思があるので、人はそれぞれの都合によって驚くほど違うことを考えています。


何をすれば少しでも前に進むことができるのだろうか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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