1374th  命の次に大切なもの | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

命の次に大切なものと問われれば、多くの方々はお金だと仰るでしょう。

命を維持する為に今の世の中であれば絶対に必要なものだということでそのように答えられるのでしょう。

霊的修行者であれば、命よりも霊的な成長だとか霊的活動が大切であって、そのために命があるのだから、その意味で命を維持するお金は大切だと答える方が少なくないでしょう。

地上で現代を生きる以上、お金は大切です。

修行者にとっても、命を維持するだけでなく、合宿に参加したり、霊的集会に参加したりするためにはお金は必要なのですが、そのような霊的なことでお金を取るのはおかしいと仰る方々がおられます。

例えば、携帯電話を買う場合は原価があるし、商売としてやっているのであるから、お金を払うのは当然だけど、霊能力者が商売としてなにかをしたり、原価もないのにお金を取るのはおかしいという論理のようです。

しかし、何度も書いていますが、他者に何かをしてもらったり、他者から何かをもらったりするのに無料でやれという話は社会常識を逸脱しています。

そして、霊的修行者として師に師事を仰ぐのであれば、その覚悟を示す上でも最低の出費はして当然だと思っています。

新興宗教などではその論理を勝手に拡大解釈して、全財産を全て差し出せなどと言うので、世間から詐欺だとバッシングを受けるのでしょうが、まずは初歩的な勉強のために、このような本を購入して最低限のことを勉強して下さいとか、会員となるのであれば実費も含めて最低限の年会費は払って下さいと言っても、おかしいと騒ぎ立てるのは馬鹿げていると思います。

ところが、世間では、権威のあるキリスト教や仏教や神道において、寄付金やお布施を出して下さいと言っても騒ぎ立てないのに、そうでない宗教となると全部インチキとか詐欺だとか言い始めて、実費に近いような金額であっても金銭の授受があるとすぐに否定するのです。

この話は議論しても意味がないのでこのへんで止めておきますが、居酒屋でくだを巻くためのお金程度を何かに払うのは嫌だというのであれば、所詮、そのことに対する情熱や継続性は生まれないでしょう。

別に宗教に限らず、何でも無料で与えることには僕は否定的ですし、社会生活においても、ビジネスやその方の生業となることに対して、無料を要求する方は地上の価値観でもとても非常識だと言われるでしょう。


但し、本の購入であろうと、入会であろうと、寄付であろうとそこに実質的な強制の要素が入っては絶対に駄目です。

水波霊魂学の教えの根底には自由意思の原則があるからです。

そこのところの線引きが最も重要なのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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