1149th  個性とはなにか | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

個性とは何かについて考えることがあります。

個性とは地上の価値観では非常に重要なものと考えられています。

そこから自由というものが導き出されるのですから、個性の尊重が価値が高いものだとされるのは当然とも言えるでしょう。

霊魂学においても自由意思の原則がありますから、個性は尊重されます。

しかし、個性と言っても地上の人間が表現している個性というのは霊魂としての正体に鑑みるとどれほどのものかと思ってしまいます。

人という霊的生命体の正体は魂であるそうですが、その魂のほんの一部の一部の一部が表現されたものが霊魂です。

その霊魂が幽質界から物質界である地上に降りて、短い人生の後に幽質界に戻り、その霊的カルマのために再生してしまうという負の連鎖を繰り返しているわけですが、その再生のシステムは非常に複雑で、幽質界に戻った本体からまた一部の一部の一部である細胞のような小さな存在が地上において再生されるのです。

しかも、その本体から再生される細胞の数は一つとは限りません。

それがもう何回も何十回も繰り返されているかもしれないのです。

となると、仕事場であなたの側でふんぞり返っている大嫌いな上司は、何世代か前の本体まで遡れば、自分自身そのものかも知れないのです。

何度も細胞分裂のような再生を繰り返した、今地上にいる自分の個性というのは、そのような元の本体や更に魂というレベルまで遡って考えれば、地球全体に対する一粒の砂よりも小さいものであり、それを自分自身の個性と言えるのだろうかといつも考えるのです。


さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 ねこメット動画 (修行仲間の方々が作られた動画が全て見れます)などをご覧になって頂ければと存じます。
人という霊的生命体の究極目標が至上の神に近づくことであれば、霊的レベルが上がれば上がるほど、同一性が生じるのですから、個性というものが最終的にはなくなるのが最終段階ということなります。


実際には、神霊やキリストであっても個性があるようですが、僕たち地上の人間が考えたりイメージしたりする個性とは異なるものなのかも知れません。

地上の言葉で表現できるものではないのでしょう。

いずれにしても、何回か前には日本を占領しようと蒙古の水軍として戦争に参加していた人が今日本で反中国の急先鋒になっているということも考えられるような実態があるにも関わらず、そして、もしかしたらこの世で一番嫌いで憎んでいる相手が、霊的な大きな意味では自分自身であるにも拘らず、地上の人は個性重視の名の下で常に自己の意見を通そうとし、休むことなく激しい対立を深めていっています。

それでも、高貴な方々は自由意思を尊重され、個性を重んじておられます。

しかし、だからこそ。自由意思で個性があるからこそ、そして肉の脳の感情があるからこそ、向かうべき方向性というものを自分自身で考えて、実践することが重要なのではと僕は考えるのです。

肉の自己保存本能を考えれば、当然命は大切ですし、自殺や他殺などでそれが奪われることはとても悲しいことです。

重い霊的カルマを作り出してしまうことも当然予想されます。

ただ、一方で霊的修行者となると幽体や霊体の成長により、肉の維持だけが全てではないことや時には肉でいることの馬鹿馬鹿しさを強く感じることがあるようです。

もちろん、肉を着ているのですから、死の恐怖や死に対する拒否反応はありますが、霊的修行者でない方とはかなりその感覚が異なります。

それを考えると、ある程度段階が進んだ霊的修行者が命をかけてなどと政治家のようなことを言い出したら、非常に危険だと個人的に思っています。

そんなことよりも、場合によっては、人類の霊的進歩向上のために、個性を捨て去ることの方がはるかに難しく、だからこそ極めて重要であると僕はいつも思っています。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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