1148th  山口県連続放火殺人事件 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

昔は法制度が整っていなかったこともあり、地域では地域全体の生活を守る為に村八分という仕組みがありました。

多数の人を守る為に少数の人を犠牲にする仕組みとも言えますが、過度な生存競争を抑えるための人間の知恵というのは、基本的には公益という名前の多数の利益を守る為に少数の利益や身体生命まで犠牲にするということでは、現在の政治や法治国家の仕組みも全く同じなわけです。

昔は、口実となる理論が単純でしたが、今は非常に難しい理屈を立てて、結論は全く同じことをやっているわけです。

その理屈の部分が知的だとか文化レベルが高いとか言われるわけですね。


現代の村八分と言えるようなことがあったのかどうなのか分かりませんが、それに近いことがあったのかも知れません。

被害者の方が加害者を刃物で刺したという事件が10年前に起きていたそうなので、壮絶な念の飛ばし合いがあったのでしょう。

その意味では、昔の村八分は直接的に生命の危機が生じていたのですから、その念は僕たちが想像できないようなものだったのかも知れません。

この事件で、どのような霊魂の関わりがあったのか、なかったの僕には分かりませんが、恐ろしいほどの念のやりとりがあっただろうことは容易に想像できます。


さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 ねこメット動画 (修行仲間の方々が作られた動画が全て見れます)などをご覧になって頂ければと存じます。

村八分が普通に行われていた時代には、多少の救いがありました。

霊的にはまだ神社にそれなりに高級な力が降りていた時代ですから、そこである程度は霊的な障害を治癒することが出来たからです。

しかし、今はどの神社にも力が降りてはいないようです。

そのような契約をして、そのようなことを行っていない上に、邪霊や未熟な霊魂がたむろしているからです。

我田引水を申し上げ続けるしかありませんが、今そのようなことが可能となるのは霊的集会や支部集会のようなトオゥ・ライ・シェイと神伝の法の合宿、或いはその他の研修会しかありません。

肉の脳ではわかっているようなわかっていないような感じですが、僕の中の何かが実感し、確信しているのです。

それをこれ以上文字で表現することも話で表現することも出来ません。

ご興味がある方はご自身の意思で神伝の法を実践し、ご自身で実感して頂くしかありません。

霊的修行者でない方も、何かは感じておられるのではないでしょうか。

なにかおかしい。

なにかが大きく動いていることを。

人は、自分の都合の良い方向に考えたいという習性がありますが、ここまで異常な感じが表面化していれば、何かを感じられていると思われます。

実際には、何か異常なというそんなレベルではないのですが。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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