1025th  特別 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

歴史上の有名な人物には、「自分が天下を獲れるならば、この矢よ的の中心を射抜け。」と言ってその通りにしたとか、「自分が天下を獲れるならば、どんな最前線に行っても絶対に鉄砲の弾は当たらない。」と言ったとか、天が自分を選んだと言わんばかりの逸話が残っている場合があります。

歴史は勝者が書き残すものですから、ほとんどは天下人となった後のあとづけの話なのでしょうが、いずれにしても、地上の価値観において特別の存在となった方は、天、すなわち神のような絶対的な存在が、自分自身を選び、そのような地位に上らせたと考えたいようです。

もちろん、霊的な意味で特別な魂が地上に降りられて活動をされ、歴史にも名前が残っておられるということはないわけではありません。

しかし、そのような方々が、霊的に特別なのは、それに応じた霊的活動を地上においてされたからであって、地上の価値観において特別なことをされたからではありません。

ところが、人は地上の価値観で偉業を為した時に、地上の価値観とは全くことなる世界でも自分自身は特別だと思いたくなるようです。

それは、目に見えない世界に地上の価値観を当てはめているだけのことで、尽きることのない欲望の成れの果てといえるのかも知れません。


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他者から見れば、地上での栄華を全て一身に受けたように見える方でも、天が自分を選んだと思いたいようですので、逆に何もかも満たされない方が霊的な修行をした時に、自分は選ばれた特別の存在だと思いたくなるのは、ある意味普通のことなのかも知れません。

昨日の話と重複しますが、満たされないコンプレックス霊的なことで満たそうとしたがるのは不思議なことでもなんでもないのでしょう。

それが、肉を着た地上の人間だと言えるのかも知れません。

霊的修行者となることには、危険はありませんが、自らを常に律する気持ちがないと、この高慢の罠だけはいつも目の前にあります。

別に霊的なことに限らず、地上で普通に生きていれば高慢になる罠などいくらでもあるのですが、霊的修行者がこれにはまると取り返しがつかなくなります。

高慢すなわち、自分が完成したとか特別な魂だとか思っているわけですから、そのような方には高級霊魂は力を降ろされることはありません。

もう何億回も書いていますが、霊的トレーニングは、形式だけ全くその通りやっても何の効果もないのです。

神霊や高級霊魂との契約があり、そのような高貴な方々が実際に行を行う時に協力して下さるという前提があって初めて成り立つものですから、それがなければ、単なる動作に過ぎないのです。

従って高慢になると力も降りなくなりますし、力が降りなければ、霊的な隙が出来ます。

そうなると、邪霊に狙われるのです。

彼らは、その霊的修行者の守護霊や指導霊や或いは、神や仏になりすまして、地上での人生もあの世での人生も全てめちゃくちゃにするのです。

見えたり聞こえたりするのが危険なのは当然として、幽体の高級な意識が直接肉体の口を使ってしゃべるとか、霊体の意識が普通に語りだすとか、そんなことを言い出したら、もう後戻りは難しいでしょう。

地上の人間は死ぬまでは肉の存在ですし、肉の脳は必ずミスをします。

高慢になるということは、その前提を否定することですので、ミスをミスと気がつかずに、必ず取り返しの出来ない失敗をします。

そして、やがて邪霊と二人三脚の人生を歩き始めてもそのことに気がつくことはないのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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