1023th  八重の桜 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

基本的には何十年に渡って大河ドラマは見続けているのですが、年初からいろいろと忙しくて、今日、初めて八重の桜の第一話から第四話までを見ました。

第五話からは、自宅のテレビと妹の家のテレビの両方で録画がしてあるので、どちらにいても見れますので、第四話までは時間がある今日のうちに見ておきたかったのです。

妻が朝出かけていくので、一緒に朝ご飯を食べた後で二度寝しようと思っていたのですが、犬たちが興奮して大喧嘩を始めたために、それを止めているうちに眠気がなくなったので、とりあえず午前中に見ておこうとおもったのです。

昼間まではその他もろもろの番組も見ていて、その後霊的トレーニングをワンセット行って、やっと今ブログを書き始めたというわけです。

水の禊も終わらせましたし、昼ご飯を食べていないので、この後、4時過ぎたら早めの晩ご飯を食べながら、飲み始めようかと思っています。


ところで、八重の桜のドラマ当初の舞台は福島の会津藩となっています。

僕が個人的に好きな政治家である保科正之を藩祖とする藩です。

保科正之は二代将軍秀忠の四男で、最初は出生が隠されていましたが、後に三代将軍家光の弟にあたり、家光の死後は四代将軍家綱を補佐したことで知られています。

最初は隠し子として将軍家とのつながりが全く無かったにも関わらず、家光に重用されたことに感銘したのか、保科正之は、「会津家訓十五箇条」を定め、第一条に「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記したことから、以降、藩主・藩士は共にこれを忠実に守りました。

幕末の藩主松平容保はこの遺訓を守り、佐幕派の中心的な存在として最後まで薩長軍と戦い、あの白虎隊の悲劇が起きるわけです。

ドラマではその戦いが前半のクライマックスとなるのでしょう。

会津戦争で思い出すのは、今でも会津出身者と山口県の出身者のカップルが双方の親から猛烈に結婚を反対されたという話です。

100年以上経っても、それぞれの土地に、個人ではなく、その土地出身の人間に対する憎悪が残っていると知って、人の憎悪を凄まじさを思い知らされたのです。

その土地以外の方にはあまりにも馬鹿馬鹿しいと思えるような話であっても、ご当人の方々にとっては、どうしようもない現実なのです。

地上の人が動物として生き、生存競争の中で放つ念の強さは想像を絶するもののようです。


さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界霊魂学紹介動画(霊魂学1) 霊魂学紹介動画(霊魂学 目に見えない何か)動画霊魂イエス動画ムーの大神人守護霊からの手紙 体験ー死後の世界動画 などをご覧になって頂ければと存じます。


小さい頃から刷り込まれた憎悪であっても、逆恨みであっても、その念は相手の幽体を傷つけます。

霊的トレーニングを行っていない幽体は、非常にもろいようです。

穴があくほどの損傷となり、ずっと治ることがないというケースも少なくないようです。

どんなに正しく生きていても、地上で生きている限り人はどんなことで恨まれるか分かりませんし、ただ普通に電車に乗っているだけでも訳の分からないことで恨まれることは日常茶飯事だと思います。

まして、念を発している当人さえ、念を発していることに気がついていない場合も少なくないのです。

一度、発せられた念は生き物のようになって飛んでいくようです。

念を発したご当人にもコントロール不能なようなのです。

霊的に穢れに穢れてしまった地上で、人々は毎日のようにお互いにこのような恐ろしい念を出し合い、幽体を傷つけ合い、それによって自らが低い低い幽気を出して、更に地上の霊的な状況を悪化させているのです。

自らの自由意思によって、霊的進歩向上を目指し、霊的生命体として本来なすべきことをしないのであれば、そこには絶望という二文字しか残されないでしょう。

そして、恐らくその時はもう目の前に迫っていると思われます。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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