地上で生きていく上でとても難しいことの一つは人間関係です。
仕事をするにせよ、なにをするにせよ、まず人間関係が問題になることが多いからです。
離職する際の原因の第一位は人間関係だというデータもあります。
地上の人間は自己の都合で生きていますから、あいつが悪いこいつが悪いと騒いでいる方がおられたとしても、双方のご意見を聞いてみなければ、どちらが悪いか分かりません。
人間関係のトラブルはどちらかが一方的に悪いということは多くはないと思いますが、それでもそれに近いようなこともあります。
そうなると被害を被った方としては、あんな奴のやり方がまかり通る世間はおかしいとか、そのうちバチが当たるとか、神や仏に懲らしめてもらいたいと思うでしょう。
世間がおかしいのは今に始まったことではないですが、バチがあたるとか神や仏が懲らしめてくれるとかいうことはありません。
神仏は地上のそんなことには関与されないからです。
しかし、相手のご当人たちには何かあるかも知れません。
自分でまいた種は自分で刈るしかないのですから、結局はその結果は常に自分に跳ね返ってくるのです。
それでも、地上のことは不確定要素が多いですが、霊的なこととなるとそういうわけにはいきません。
霊的なことは、それがプラスに働くのかマイナスに働くのかということがはっきりしていますので、自由意思の行使は必ず自己責任として跳ね返ってきます。
例外はありません。
霊的にマイナスなことをすれば必ずそれに応じた結果が生じて、それは自分自身の霊的な状況に全て反映されます。
全てが幽体に表れるのですから、死後それがそのまま反映されて霊魂としての人生を左右していくのです。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり 、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊をさぐる 、弁慶と弟子 、体験ー死後の世界 、霊魂学紹介動画(霊魂学1) 、霊魂学紹介動画(霊魂学 目に見えない何か) 、 動画霊魂イエス 、 動画ムーの大神人 、守護霊からの手紙 などをご覧になって頂ければと存じます。
人と言う霊的生命体は、自由意思を行使出来るかわりに、必ず自己責任が生じます。
あいつを懲らしめて欲しいとか、やつだけにはまともな人生を送らせたくないなどと思うとむしろ自分の方が霊的にマイナスになります。
生きるために攻撃されたら防御するしかないでしょうが、現実的な危機が去った後にいつまでも恨んだり呪ったりしない方が良いのです。
バチがあたることはありませんが、自分がまいた種は自分で刈らなければならない時は必ずきます。
他者がどうのこうのと考えるよりもとにかく自分自身が地上で霊的に進歩向上するためにはどうするべきか、何をすべきかを考えることが重要です。
人間関係は無視出来ませんし、そこには霊的カルマの問題も絡んでくるでしょうが、結局は自分自身の生き様が全てを決めるわけです。
妨害は排除するしかないでしょうが、それ以上のことは考えることも何かをすることも自分にとってプラスにはなりません。
ましてや、頼まれてもいないのに余計なことをして恨まれてしまっては話になりません。
社会のルールを守りながら、必要な人間関係を保ちつつも、それらはあくまでも調整であると考えて、自分自身のことを見つめながら生きていくしか、霊的な進歩向上の方法はないように思います。
もちろん、修行が非常に進んだ方が、神霊やキリストのお手伝いをするために、いろいろな活動をされることはとても素晴らしいことだと思います。
しかし、普通はそこまで手が回らない、あるいはある程度余裕がある範囲でやらせて頂くという程度しか出来ないでしょう。
それほど、自分自身に関してやらねばならないことは多いのです。
他者を許すことも自由意思ですが、やはり許すということを意識しないと自分自身もいつしかあっち側の人間になってしまう危険があると思います。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
霊魂学をより多くの方々に知って頂くために、是非一日一回のクリックでのご協力をお願い致します。
にほんブログ村
yahoo
google