昨日は、仕事で岐阜市の柳ヶ瀬に行ってきました。
地方都市とは、規模の大きな繁華街として昭和の時代には全国的に有名だったこの街も今は寂れてしまっています。
岐阜城のある金華山が見えるこの街を訪れるとどうしても中学生の頃のあの鮮烈な思い出が蘇ってきます。
随分前にも書きましたが、僕が中学生で妹が小学生の頃、父が非常に不可解なことをしました。
誕生日でも、クリスマスでもないのに、そして、普段訪れることが全くなかった柳ヶ瀬に僕たちを連れて行って、欲しいものを何でも買ってくれたのです。
豪華なお昼ご飯を食べた後、父は長良川の土手に車を止めて、ずっと黙っていました。
結局、日が暮れ始めるまでずっとその状態が続いたのですが、僕も妹も父が無理心中をしようとしていることに気がついていました。
なんの交通機関もないその場所から逃げることも出来ず、僕は神様助けて下さいと何度も念じました。
その思いはもちろん神に届いたはずもないのですが、守護霊や指導霊の方々には届いたのだろうと思います。
彼らがその時にどのようなことをして下さったのか分かりませんが、その時から僕は何か目に見えない存在が自分を見守っていてくれるような実感を初めて感じました。
日々の生活に埋もれているとそんな思いもすぐに忘れてしまうのですが、人生の節々でまたそれを感じてきたので、霊魂学に出会った瞬間に霊的修行者になろうと思うことが出来たのだと思います。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
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父は岐阜県の多治見市の裕福な家に生まれ育ち、浪人時代は東京に行き、大學卒業後は日産に入社して、名古屋支社にいたようです。
愛知県の一宮市に住んでいたこともあるようですが、僕が生まれた頃からはずっと名古屋に住んでいました。
死を決意した父がなぜ最後に柳ヶ瀬に行ったのか僕には分かりません。
単に繁華街ということであれば、名古屋の栄や名駅があるからです。
恐らく、幼い頃に柳ヶ瀬に連れて行ってもらってとても楽しい思いをしたのかも知れません。
栄でもなく、地元の多治見でもないところが、なんとも言えないものを感じさせます。
多治見は地元だからなんだか気が引けるけれども、岐阜県人だから岐阜県で死にたかったのかも知れません。
それを考えると故郷に対する強い思いというものは、霊的カルマになる場合があるような気がします。
そう考えると東日本大震災や福島原発事故で故郷に戻れない方々は、身内や親しい人の死だけではなく、先の見えない不安や故郷への思いなど、複雑で重い霊的カルマが生じてしまっていることが予想されます。
何とか神伝の方を知って頂き、霊的に目覚めた方には日々実践して頂きたいと思わずにはいられません。
地上の価値観では何一つ希望が持てない状況の中にも、本当の希望の光は小さいながらも輝きを放っているのですから。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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