960th  潔癖症 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

世の中には潔癖症な方がおられて、電車のつり革に触るのも嫌だという話を聞くことがあります。

ばい菌というのは、実は身体にと手必要なものも少なくないようですし、人は無菌状態でずっといると抵抗力がなくなってしまうので良くないということも言われています。

ばい菌の功罪はともかくとして、潔癖症な方は目に見えなくても汚いものだと認識しておられるばい菌が手などについたり、最終的に体内に入ると考えるともうどうしようも嫌な気持ちになるのでしょう。

見た目が綺麗であることだけでなく、いろいろなところを消毒して歩かないと気がすまないという方もいらっしゃるようです。

ところが、汚い幽気が道やベンチやその他いろいろなところについているのに、それがべっとりと自分の体に付くことが嫌で嫌でしょうがないという方はいらっしゃいません。

今の地上においては、本当にそこら中に霊的に汚いものがあるようです。

このような状況では、くっつくことを防ぐというのは不可能です。

自力で落とすしかありません。

霊的修行者であれば、毎日の水の禊で深刻なものでなければ落とすことが出来ます。

神伝鎮魂法初伝や幽育の効果が深刻な状態にならせないということもあり得るでしょう。

それでも、例えば、人々のご利益の念がこびりついた何とか地蔵をなでてみたり、願いが叶う場合は持ち上がるという地蔵を触ってみたりすれば、修行の段階にもよりますが、自力で落とすことが出来ない場合も出て来るでしょう。

そうなると、霊的な技術によって正常な状態に戻すしかありません。


さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 体験ー死後の世界霊魂学紹介動画(霊魂学1)霊魂学紹介動画(霊魂学 目に見えない何か) などをご覧になって頂ければと存じます。


これが修行をしておられない方の場合は非常に怖いことになります。

そのようなものが体につくと、その部分から幽体や幽気などが悪い状態になり、霊的に極めてまずいことになります。

とりわけ、霊的に低くて汚いものほど、邪霊の目で見えますので、それを目印にして、その方をつけ狙い、さまざまな形で悪さをします。

彼らにとっての究極の快感は、地上の人間の中に入ることですから、そのような状況にあると、幽体や幽気や間気の状態を更に悪化させ、そのうちに邪霊の声が聞こえるようにして、社会人として生活出来ないようにします。

勘違いではなく、ご本人としては、明らかに自称神やら仏やらの邪霊の声が聞こえるようになり、あれをしろ、これをしろと言ってくるのですから、もうご自身の力ではどうしようもなくなります。

また、一度中に入られるとそのようなルートが出来て、何度も入られるようになるようです。

何度も入られてしまうともう霊的な技術を使っても正常な状態に戻すのは難しいようです。

霊的に汚いものに過度に反応してしまうと日々の生活が送りにくくなってしまいますが、せめて一日仕事や家事などで外出して付けてきた汚いものくらいは、毎日シャワーで身体を洗うように、水の禊で洗い落としたいものです。

物質的な汚れは人生を奪うことはしませんが、霊的な汚れは霊的生命体としての長い長い人生をめちゃくちゃにしてしまう可能性が非常に高いのです。

物質的に潔癖症な方が、実は霊的には汚いものがべっとりということは普通のことだと思います。

人は事実を知らないから平然として生きていき、知らないうちに本来の人生を不幸なものにしてしまっているのです。

全て自由意思。

しかし、事実は事実として常に存在しています。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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