大きな意味での神伝の法には、一人では出来ない修行も含まれています。
「霊をさぐる」に詳しく書いてありますが、霊的瞑想と言われるものです。
HPに書いてある文章を抜粋しますと次のようになります。
「この霊的瞑想は、高級な霊魂方にその場に来ていただく事を前提としています。まず、霊魂方を呼び、次に人間が瞑目し、その場の霊的な気が高まるにしたがい、霊魂方が人間の幽体オーラを読み取ったり、幽体に何らかの作用したりする、といった作業を行ないます。つまり、霊魂の協力が不可欠な技法なのです。
そのため、霊的瞑想は、初心者が一人で行なっても、あまり効果はありません。また、霊魂を信じない人には意味がない事でしょう。
霊的瞑想には、達人の立ち会いか、そうでなければ、高級霊魂の目印となる特殊な物品を使用するといった事が必要になります。そのため、複数の人達が集まる必要があります。
こうした霊的な瞑想を長く続けていくと、長い間に質の高い幽気が人間の幽的身体に染み込み、その幽体オーラを成長させ、ひいては、その人間の霊的な進歩向上をもたらすのです。
やってみれば、実に簡単な技法なのですが、高級な霊的空間を作成することによって、一人で瞑想していてもなかなか得られない幽的な進歩を、誰もが、得られるのです。」
特に初心者の方にとっては、トオゥ・ライ・シェイ(霊的集会や支部集会)の参加が非常に重要ですと何度も書いている理由はここにあります。
霊的集会においては、この幽体の進歩のみならず、霊体の進歩も促されることがあります。
霊的クリスマスや新年の儀式においては、更に高い御力が降りますから、参加者の霊的な器の大きさに応じて、到底一人での霊的トレーニングでは得ることが出来ない効果が生じるのです。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり
、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊をさぐる
、弁慶と弟子
、体験ー死後の世界
、霊魂学紹介動画(霊魂学1)
、霊魂学紹介動画(霊魂学 目に見えない何か)
などをご覧になって頂ければと存じます。
霊的集会や支部集会と言うと日曜日教会へ行って、祈り、懺悔するようなことを連想される方が多いかも知れませんが、霊魂学においてはそのような霊的にあまり意味のないことはしません。
祈りは、霊的な進歩向上を目的として、ご自身の守護霊や指導霊に対して、日々行えば良いことですし、懺悔というか反省も日々自分のことを見つめ直し改善していけば良いことなので、霊的な集会や支部集会でわざわざやる必要はないのです。
それは、毎日、日々の生活における修行としてやれば良いことなのです。
わざわざ、複数の方々が集まって行う霊的集会や支部集会は、霊的な技法なのです。
何度か書いていますが、それがラ・ムー師が大昔にやられていたトオゥ・ライ・シェイなのです。
修行の基本中の基本は、自宅で毎日出来る霊的トレーニングを行うことです。
しかし、それだけでは補えない部分もあります。
従って、一人では得られない高い御力を受けるために参加するのがトオゥ・ライ・シェイということになるのです。
もちろん、霊的集会では霊言があったり、公開霊査があったりしますが、それはオカルト的な興味を満足させるものではありません。
個々が霊的な進歩向上のためのヒントを得るためのものなのです。
そして、神伝の法を行うだけでは、肉の脳が自動的に霊的進歩向上のために働いてくれるわけではないので、そのような場やインターネットのサイトや師の著書で得た知識をヒントにして、自分自身が霊的修行者として具体的にどのように生きていくかを真剣に考え、行動し、反省し、改善していくということが日々の生活における修行なのです。
これも非常に大切な修行で、それをやらないと自惚れや依存という霊的修行者としては致命的な病気にかかってしまいます。
特に自惚れや高慢は、いつしか霊的修行者の心を蝕み、守護霊や指導霊とのつながりを断ち切り、神霊との契約を破棄し、邪霊の虜となることを知らないうちに選択させてしまうのです。
場合によっては、独自の修行をやり始め、自称神の邪霊の声が聞こえるようになり、師や神霊やキリストやその部下である高級霊魂の方々を裏切ることも平気でやってしまうでしょう。
そのことが霊的にどのような意味を持つかは言葉では表現出来ません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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