ルミナリエとは、クリスマス前の観光イベントとして定着していますが、阪神淡路大震災の年の最初の点灯式には、歓声の後静寂になり、涙を流す人が多かったそうです。
実際に震災を経験した方には特別な思いがあるのです。
あの発生した阪神・淡路大震災後の阪神地区にて「復興神戸に明かりを灯そう」という意図で1995年に始まったイベントですが、毎年、資金難で来年は開催されるか分からないと言われています。
安全のために徹底的な行列規制をするために、その区間にある店舗は期間の時間帯にはお客さんがゼロになってしまうために、実は地元の反対も多いようです。
本来の意図が、震災からの復興にあるので、いやいや従っている店舗も多いのでしょう。
地域によって繁盛するところが極端に分かれているので、ルミナリエの場所以外でも三宮、元町で、ルミナリエは逆に営業的にはマイナスになるのでやって欲しくないと仰る方の声をいくつも耳にしています。
人間同士の利害関係の調整というものは本当に難しいものです。
何ごとにおいても、全員が100%満足ということはあり得ません。
霊的に事柄であっても同様です。
そこで、大義だとか正義だとか民主主義だとか言い出すと恐ろしいことになります。
大義も正義も民主主義も全て物質界である地上の価値観に他ならないからです。
それを霊的なことに持ち出されると僕は非常に警戒します。
本来、霊的な事柄になじまない、場合によっては逆行していることを正しいものだとして結局は個人の意見を暴力的に押し付けることに他ならないからです。
あるのは真実だけであって、そこには地上の価値観は一切入り込めないのです。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり 、わかりやすい霊魂学 、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 、霊をさぐる 、弁慶と弟子 、体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。
大義や正義や民主主義を持ち出す人には必ず隠れた意図があります。
地上の価値観においては正しいようなそれらしいことをわざわざ霊的なことに持ち出すには何らかの霊的ではにはない理由があるからです。
そのような方を僕は絶対に信じません。
敵対することも無視することもしませんが、信じることは出来ません。
復興のための希望の灯火として定着したように見えるルミナリエも実は、多くの方々の不満と妥協と諦めの中で続けられている部分があるのです。
そのことを思うと、高貴な存在が自由意思を絶対的に認めておられることがよく分かるような気がします。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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